金属屋根工事や板金工事では独特な用語が使われており、普段の生活では馴染みがなく意味が分かりにくいものが多くあります。そこでいくつかの用語について、解説を掲載します。
解説は、旧亜鉛鉄板会が発行しておりました『亜鉛鉄板』誌のVol.44 №5及びVol.45 №5より引用しております。執筆者はナガタニルーフシステムの永谷洋司氏です。記して感謝の意を表します。
なお、掲載にあたり省略等を行った箇所があります。
這樋は2階建以上の建物で図のように上層階の竪樋が下層階の屋根の上に位置し、その雨水を下層階の竪樋(正確にはあんこうまたは集水器)に導く機能を持った樋である。従って這樋の設けられる位置は、下層階の屋根上となる。這樋は通常方形の断面をしていて、その上は蓋が付かず、所々に変形を防ぐつなぎ板を付ける。
この理由は、這樋を完全に塞いだ方形(角竪樋のような)にすると、竪樋からの雨水は流水方向が変わり、図(イ)部分で雨水が溢出するおそれがあるからである。その意味では、小型の住宅程度の這樋に丸竪樋をそのまま利用していることが多いが、雨水排水の面からみると決して好ましくない。もし一時的な豪雨があるような場合は、図(ロ)の部分で水が溢れるおそれがある。なお這樋は前述のように上面を開放しているので鳥や虫類が中に巣作りをすることもある。そこで丁寧な仕事では雀除けといってロストル状のものを用いて塞ぐことを行っている。
はぜは、2枚の金属板の端を折り曲げ、引っ掛け合わせて継ぐ場合の折り曲げた部分の名称です。または「小はぜ」ともいいます。
はぜを利用して2枚の板を継ぐことを「はぜ継ぎ」、「小はぜ掛け」ともいいます。
はぜの漢字は「鉤」が正しいようで、「馳」は最近用いられるようになったようですが、どうも根拠はないようです。
はぜは通常、板厚0.5㎜以下の鉄板や銅板で継ぎ合わせる場合に利用されます。しかし、ダクトなどでは板厚1.0㎜以上の鉄板を用いるので、はぜの組み方が変わっていて、いわゆる「ダクトはぜ」と称されるはぜ組となっています。
現在の薄い金属板のはぜには、どうもあまり古い歴史はないようです。少なくとも今のような薄い金属板がわが国に出現したのは明治維新以降であろう。それまでは手で叩いて板を延ばしていたので、0.3㎜や0.4㎜の均一な厚さは得られなかったはずです。したがって一文字葺きのはぜのような繊細なはぜ組は不可能と考えざるを得ません。
明治から大正期にかけて石油や煉瓦などを輸入した際、その梱包に「ブリキ板」を用い、その継手が「はぜ掛け」されていました。これを見て現在の「はぜ掛け」が完成したとも聞いたことがあります。
図ははぜの組み方による種類を掲げたものです。このうちa~fは薄い板による屋根、壁などに用いられ、g~kは、ダクトはぜと称し、板厚0.8㎜以上に用いられるものです。
破風は昔は、切妻屋根の頂部の端、つまり棟木の端から軒先まで屋根の流れに沿って棟木、母屋や軒桁の切□を隠すように取り付けた厚い板のことを称していました。しかし、現在では単に板でなく切妻の壁部分全体を破風と呼んでいます。
また破風は博風とも書いた時代があったようです。さらに呼び方が地方によって異なり「はほ」「はっぽう」「はっぽ」などがあります。
破風の種類は結構多く、反り破風(照り破風ともいう)。起り破風、入母屋破風、切り破風、千鳥破風(据え破風ともいう)。槌破風、流れ破風などがあります。
破風板が頂部で左右合わされる部分を「拝み」といい、下端部分を「破風尻」、中程を「破風腰」と呼びます。
その昔、封建時代のある地方では、一般庶民の家屋には破風の使用を禁じたこともあったようです。このときには、たる木がそのまま露出することになり、この方法を「たる大形」といいます。
蛤はよく御存じの美味い貝ですが、屋根の世界では一文字葺きの屋根で蛤を使います。
入母屋造りや寄棟造りの屋根の隅棟部分で、左右の横馳を連続させて葺く方法を「まわし葺き」といいますが、この箇所に蛤を用います。図のように形が蛤に似ていることから、この呼び方となったと思われます。
蛤は一文字葺きの優美な線を、さらに隅棟や隅谷部分で曲線で結び一層奇麗に仕上げます。
ところで蛤は、隅棟には多く葺かれますが隅谷にはあまり使われず、むしろ網代葺きが用いられます。理由は谷に葺く場合は、縦馳が流水に逆らうことになり雨漏りしやすいからです。
どうしても蛤葺きとする場合は、蛤の幅を広くし谷を流れる雨水から外れた位置で縦馳が来るようにします。
棟も谷も下地は稜線部分に角を付けず、丸味を持たせます。
今でこそ鋼板の厚さは「㎜」ですが、以前は「番手」で表されていました。昭和42年のJIS改訂により番手表示が廃止され、以降㎜表示となって、関係者に定着しています。
しかし、年配の方の中には、いぜん番手を使う方がときどき見かけられます。参考までに、旧番手と現板厚を表にまとめてみました。
①ヒサシは古い日本建築ではモヤ(身舎、母屋)の外側に、さらに柱、壁を設けてモヤの屋根とヒサシの屋根を連続させる構造がありました。この付加的に設けた部分をヒサシ(廂) と呼びました。なお身舎は今ではオモヤといわれることは、御存じのとおりです。
建築の発達過程からみると最初は身舎だけの小さいものでしたが、やがてもっと大きい平面の建物が必要となりました。そこで平面上身舎の外側に壁を作ることによって、より広い床面績を得ることが可能になりました。廂は身舎の一面の壁の場合から、二、三、四面の壁にと比較的自由に設けられています。
しかし平面的には外に柱や壁を作れば面績は増えますが、屋根を身舎と同一面にしようとすると、勾配があるため軒先では低くなってしまいます。やがては人間の出入りにも支障をきたすことになります。そこで身舎の棟をそのままにして軒先を高くすることになりました。結果、屋根には反りが付けられました。社寺建築が反り屋根となっているのは、上のような理由がありました。
②次に建物の主要な部分をな覆う大屋恨に対して、その外壁の外側に付け足して室内空間を作る場合があります。屋根は大屋根と連続せず別に屋恨を設けるとき、その屋根を庇といいます。前項の廂にやや似たものです。
③窓や出入口の真上の壁から外側に突出して設ける小さい屋根も庇と呼ばれています。
④廂や庇の他に霧除けがあります。この屋恨は板一枚などと、最も軽微な屋根のことです。
木造建築の軒先に取り付けられる横木を広小舞といいます。古建築の茅負(カヤオイ)を簡略化したものです。垂木の軒先先端の上側に、取り付く板です。しかし、屋根が瓦葺きの場合の広小舞は扇平な台形をした長押挽(ナゲシビキ)という部材になります。
屋根の瓦、杉皮や波形石綿スレート葺きなどは、雨水が流れる方向に沿って水が侵入しないよう重ね合わせながら葺かれます。このとき、上に重なっている瓦の水下側の端から、その水上側と重なっている瓦の水下側の端までの距離を葺足といいます。また葺足のことを葺脚と書いたり、利足と呼んだりすることもあります。
葺足の呼び方を対象とする屋根工法には、上記の他に茅葺き、柿板(コケライタ)葺きや樺皮葺きなどがあります。しかし金属板葺きの場合は何故か葺足とは言いません。当然、段葺きや横葺きなどはこの用語がよいと思われませんか。
宝珠とはもともと宝の玉という意味ですが、建築とりわけ古建築には、建物の一部の部分の名称となっています。方形、六注、八注などの屋根の最頂部には屋根面が一点に集まるので何らかの雨仕舞いが必要です。例えば摺鉢状のものを伏せたままでもよいでしょうが、この雨仕舞いと装飾を兼ねたものを宝珠といいます。
相輪は搭の上に設けられますが、宝珠は高さの低い建物に取り付けられます。
通常露盤を設け、その上に宝珠を置きますが、宝珠は単に玉状でなく火焔(かえん)や水煙(すいえん)のデザインの彫刻板が付けられます。火焔の付いたものを火焔宝珠といい、水煙のものを水煙宝珠といいます。その意味は相輪と同様です。
この他、宝傘という傘を付けたもの、伏鉢のあるものなど多様で、相輪よりも変化に富んでいます。