(4/5) ルーフネット 森田喜晴
茅葺き屋根に金属を被せるという行為であっても、美山や京街道沿い、また大内宿、あるいは白川郷など茅葺き文化が残っている地域の缶詰と、大都市周辺で孤立して残った茅葺き屋根で、茅が劣化し応急処置として金属を被せ、結果的に覆われた、という例を同列に論じることはできません。
白川郷、美山、大内宿など茅葺き民家が多く残る重要伝統的建造物群保存地区では、比較的程度のいい缶詰屋根が残っているように思えます。
休日の昼間、大内宿のメインストリートはディズニーランド並みの混雑を見せる。
大内宿 集落を見下ろす山腹の御堂
茅葺きの旅籠が軒を並べる、とは言っても20年ほど前に急激な缶詰化が進んだ今の大内宿では茅と缶詰屋根が混在しています。しかし街並み保存をきっかけにかつてのコミュニティーの力を取り戻そうとする地元の人たちの努力で、少しずつ茅への葺き替え(葺き戻し?)が進んでいます。
若い職人が増えているとはいえ、茅葺き屋根民家は朽ち果てたり、建て替えられたり、金属が被されてゆくことは否めません。しかしどの経過を辿るにしてもどこかで金属を被ることになりそうです。 普通なら自分の仕事を奪うライバルであるはずの缶詰屋根を最も評価している人が茅葺き職人である、というのも不思議です。
かつて屋根といえば茅葺きが当たり前だった時代があり、缶詰屋根は、地域の特色を生かした材料や技術を保存してくれている。だから塩沢さんは「"トタン"を被せられた茅葺き民家は、人の暮らしとともに変遷する民家のある時代を象徴するスタイルであって、歴史的資料として学ぶべきことの多い、大切なものだ」と評価します。
塩澤さんのこの余裕は、自身の茅葺き技術と茅葺きが現在の日本社会の中でコスト・機能両面で競争力がある、という自信によるものだと思います。
だからこそ
「"トタン"を被せられたからといって茅葺き屋根は終わりではありません。環境が整えばまた剥がせばいいんですから。でも民家の姿は時代や環境にあわせて変化してゆくものですから、ある時期を象徴する茅葺き屋根のスタイルとして、まず"トタン"を認めた上で、「良い"トタン"」や「いまひとつの"トタン"」と批評してみるのも面白いんじゃないですか。僕は金属も数ある茅葺き屋根様式の一つと思っていますよ」 という言葉が出てくるのでしょう。