あの屋根!この屋根!

茅葺き屋根の缶詰は タイムカプセル?

(2/5) ルーフネット 森田喜晴

美山茅葺きの里を目指し、周山街道をゆく

茅葺き屋根に金属を被せるという行為が、景観面でも文化の伝承という面でも、決してマイナスだけではないような気がしたのは、昨年初めて京都・美山の茅葺き屋根を見るために京都市内から周山街道を走った昨年夏のことでした。

京都市内から北北西へ車で約1時間、そこに京都府下最大の面積を誇る南丹市美山町があります。そこには豊かな自然と昔ながらの茅葺き民家が多く残り、今もなお大切に守られています。

美山町は800〜900メートル級の山々に囲まれた谷あいの山村で、もともとは林業や農業を中心に栄えた町でしたが、近年はアユ釣りと観光の町と言えるかもしれません。

人口は4,454人(平成24年11月現在)。東西を由良川の源流となる美山川が横断し、川に沿って昔ながらの茅葺き民家が残っています。中でも知井地区にある北集落は、特に茅葺き民家が多く、この集落は現在、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

筆者のお薦めは、京都市内から、美山の茅葺の里を目指して、まず「燃土燃水献上図」(日本書紀に書かれた防水の起源に関する部分を図像化した著名な歴史画)のもとになった国宝「鳥獣戯画」を所蔵する高山寺に立ち寄り、お薄を一服いただいてから周山街道をゆく、というルートです。

アユ釣りのメッカ美山川の上を泳ぐ「鮎のぼり」

アユ釣りのメッカ美山川の上を泳ぐ「鮎のぼり」

鳥獣戯画の一部

国宝 鳥獣戯画の一部

高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡る、神護寺の別院であった時期もありますが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興したそうです。

鳥獣人物戯画、日本最古の茶園を持つ寺として知られ、ここでお土産のお茶を買えばパッケージはもちろん「鳥獣戯画」。かえるとウサギが燃える土(防水材を表しているが、もちろんここでは酒肴が入った櫃)を担いでいる図柄を選ぶこともできます。

深見トンネルを過ぎたあたりから、道路沿いに、茅葺き屋根のような金属屋根の家が、次々現れてきます。「あー、せっかくの茅葺き屋根も金属かあ」と、独り言を言いながらハンドルを握っていましたが、6軒目を通過したとき、バリエーションの多さに気がつきました。1件1件屋根の模様が違う。石垣模様だったり、瓦模様だったり、波板、瓦棒といった街中のローコスト民家風だったり、様々です。同時に、「いや待てよ、単に屋根を茅から、別のものに変えるなら、もっと別の選択しもあるはず、ここまで以前の形を、なぞる必要はないはずだ。ここの人たちは、誰よりも茅葺き屋根を残したかったのじゃないか」と思い至りました。そして素材は銅やステン、チタンといった高級品ではないが、どの屋根も丁寧に作ってあるのです。これは放ってはおけない。Uターンし、写真を撮っていきまた。そして撮りながら美山までドライブ、ストップ、シュートを繰り返すこと約30回。筆者が金属屋根に目覚めた瞬間です。次の6枚はその一部と後日再度撮影したものです。

良質の缶詰

これも「いいプロポ-ションじゃないですか」と言われた缶詰

そして夕刻、美山町知井地区にある北集落に着きました。ここは特に茅葺き民家が多く残っており、日本の農村の原風景ともいうべき風情で、現在、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。田んぼの向こうには茅葺き民家の集落があり、中に金属屋根の缶詰民家がチラホラ混じっています。その景色を見てあまり違和感を覚えない自分に驚いたのです。

金属の缶詰屋根に違和感がなかったのは、たまたまこの地域の缶詰屋根の質が良かった、すなわち丁寧に作られ、住み手にも作り手にも大切にされていたからかもしれません。周山街道の途中で見てきた缶詰屋根にもいろいろグレードがあることが、美山までの道中後半になって気づきました。

茅葺き民家を取材に行って金属の缶詰屋根民家に妙な親しみを感じてしまったわけです。中々この感覚を共有出来る人には会えませんでしたが、世の中は広い。そんな人が茅葺き職人の中にいました。それが塩澤 実さんです。自身腕のいい茅葺き職人で、優秀な後継者も育てています。もともと建築家を志し茅葺きに興味をもって、弟子入りしたという経歴を持つ理論派。年季奉公の後、独立し、昨年から日本茅葺き文化協会の理事にも就任しています。

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