一般社団法人 日本金属屋根協会 技術委員会
コラム
Column
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
石油缶を開いたものをだいぶ使いました。石油缶はハンダで付けてありますから、それを火で温めましてね。口のところからポンポンと叩いて抜いて、切り開いて作ったものです。これを屋根や樋に使ったものです。
開いたところは、ハゼがありますから樋などを作る際は「ふち巻き」は出来ませんでした。せいぜい「アダ折り」ぐらいしか出来ない。それと「口」に当たる部分、ここも使いました。「口」には穴がありますから、そこに細工をして穴を塞ぎましてコールタールを塗ってしまうんです。これを使って屋根を菱ぶきにしました。当時は「天地ぶき」と言っていました。既にコールタールが塗ってあるから、「雨が漏らない」ってことで、垂木に直接釘で留めていました。
これは自分たちで作るんではなくて、専門に売っているお店がありましたから、そこから買っていました。店先に開いたものがうず高く積んでありましたね。もとは石油缶ですから、開いたままの物は油だらけです。その油の付いた物と洗ってきれいにした物と2種類を売っておりました。油の付いた物は 「トロ」と呼ばれてました。当然洗った物のほうが高いわけです。3銭から5銭ぐらい違ってたんじゃないでしょうか。
鴨下松五郎氏・談
私はもともとは木羽(こば)ぶきの職人です。うちの親方の本業は木羽なんですが、トタンの仕事もやっていました。ちょうど仕事が変わり行く時代でしたね。昭和27年から28年ごろから急にトタンが出てきました。急激にトタンに変わっていったという感じです。当時のトタンぶきでは普通の民家の屋 根を2人の職人で10日もあれば終えることができま したが、木羽ですと職人2人でだいたい1ヵ月半から2ヵ月掛かります。この辺の理由が一番大きかったと思います。だんだん人間が忙しくなってきましたし、木羽に割れるような良い木を探すのも難しくなっていましたね。
斉木益栄氏 談