No.67
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
茨城県筑西市(旧明野町)にあった築 150 年以上の農家を移築したもの。もともとは茅葺き屋根だったのだが、建物内で火を使用するため、茅葺き屋根が認められず、銅板葺きとなった。
茨城県筑西市(旧明野町)にあった築 150 年以上の農家を移築したもの。もともとは茅葺き屋根だったのだが、建物内で火を使用するため、茅葺き屋根が認められず、銅板葺きとなった。
筑波の屋根には驚かされる。はじめは筑波山神社の、いかにも坂東武者然とした野太い屋根(銅屋根クロニクルNO.31)。そしてこの丸みを帯びた、量感あふれた生き物のような屋根。夕闇迫る頃に見ると、ドーマーから漏れる灯が獲物を狙う深海魚が放つ光のようで、屋根はひときわ膨らんだように大きく見えて不気味だ。春夏秋冬、晴れの日も雨の日も、いつ見てもたっぷりした美しい屋根だ。煙出しの屋根が茅葺きから銅板葺きに変わったのを機に、話を聞いてみることにした。
茨城県つくば市柳橋 496 みずほの村市場内。直売所の店舗に隣接する蕎麦屋である。屋号は「蕎舎(そばや)」。本物の「日本そば」を追求し、玄蕎麦には地元の生産農家が責任を持って栽
培した「常陸秋そば」だけを使い、国内産原材料だけで作られた無添加の醤油や味醂、素焚糖(砂糖)、米油、小麦粉など。厚削りの鰹節からとった出汁、薬味には生ワサビとネギ。土間にある「かまど」で毎朝麦飯を炊き、その煙りが建物を燻し、燻すことで建物を守っている。柱や梁はすすけて黒い。階段箪笥を上がると、二階席もあり、二階の隅には「地機織り機」が置かれ、実稼働している。店舗脇には、大きな水車が回っており、飾りではない。水車の動力で製粉している。
この軒先の処理を見て、茅葺きを銅板できれいに覆った「缶詰屋根」だと、思ったのだが、 実は違う。中身は「もみ殻」で、軒先の茅葺きは実は蓋(ふた)だった。茅は見える部だけ。下地の板と銅板の間が 70~80㎝あって、その間に断熱のため、もみ殻を詰めてある。木の伸びちじみで、隙間からもみ殻が落ちてくる。自然なことではあるが、 飲食店店としては差しさわりがあるので、その隙間は発泡ウレタンなどで封をした。
21018年5月。煙出しはまだ茅葺き。
2018年10月。煙出しが銅板で葺き替えられている。茅葺きはそのまま残して、銅板を葺いたようだ。
2018年5月、雨の日の写真。屋根のふくよかなラインが、より明確に見える。
山の水を水車に引く木樋。
板葺きの水車小屋、奧に、柿の実と緑青のむくり屋根。
竹簀巻きを模した棟包と、煙出しの屋根。
下地の茅葺きは軒先のみ。
手前から、水車小屋、水車、蕎舎のむくり屋根、新しい煙出しの屋根。
店長の長谷川成大さん(昭和 52 年・つくば市生まれ)に、建物の話を聞いた。
代表(父)は、直売所を立ち上げるときから、自分たちの商品を売る売り場は自分たちで作るべき、また直売所のお客さんにくつろいでもらう空間も必要、と考えていたようです。 飲食なら蕎麦だろう。次々古い建物が壊されてゆく中で、そんな建物を利用したいと思っていた。たまたま、農家が取り壊されるという話を聞いて、譲り受けようと決まりました。
長谷川成大さん
矩計図。0.35㎜銅板の一文字葺き、下葺きはアスファルトルーフィング22キロ品。軒先の茅の納まりなどが記されている。
解体に1年、移築に1年。直売所の農家の人達が棟梁の指示のもと、解体と移築を手伝いました。元の建物の間取りそのままの移築です。それでも、民家から店舗に代わります から、梁を追加したり、上り端(あがりはな)も2倍くらい広くなっています。この店・蕎舎は1999年10月に上棟。3000人が集まりました。
解体前の屋根はは瓦葺きで、その前は茅葺きでした。建築基準法の関係で茅葺きにできなかったので、せめてインパクトのある銅板屋根にしました。銅板にするならその良さを生かすよう、高く、角度のあるインパクトのあるオリジナルな屋根に、というのが地 元の設計者澤田さんの狙いです。澤田さんは長年の神社仏閣設計の経験を生かして、腕のいい屋根職人さんを京都から呼んでくれました。
煙出しの屋根の銅板は2年前に葺きました。震災でこのあたりでも屋根が壊れたり、瓦が落ちた家が多かったのです。煙出しは茅葺きのままでしたから、いいずれ瓦か銅板で葺き替えねばならない。なら、心配のない銅板でやっておこう。ということでした。
アクセス
店名:蕎舎(そばや)
住所:茨城県つくば市柳橋 496 みずほの村市場内
TEL:029-886-5006 FAX :029-856-2233(FAX はみずほの村市場共通)
営業時間:午前 11 時~午後 8 時 定休日:不定休