No.15
(2/2) ルーフネット 森田喜晴
3階の展望室からは庭園が一望でき、樹齢400年、樹高15メートルの天然記念物のしだれ桜を愛でることもできるが、7000㎡の見事な屋根の方に心は動く。
もともとの杮葺きのイメージに合わせ、銅板の葺き足を通常よりも短くした。平成の大改修で屋根工事を担当した斉木益栄氏が屋根工事の様子を語った記録が残っている。(編集委員長(当時)大江源一氏が、機関誌「施工と管理」のために取材したもので、当協会のホームページに「あの屋根この屋根~銅屋根とともに」として掲載されている。)
斉木さんは、長年(株)小野工業所の技術部門の責任者をつとめてきただけでなく、日本銅センターや日本建築学会において銅板屋根に関するマニュアルや仕様書の作成も担当してきた。
インタビューの中で斎木さんは、次のように述べている。
旧日光田母沢御用邸の改修工事は印象に残っています。
この建物は、大正天皇のために建てられたもので、先の戦争中は現在の天皇陛下が疎開されておりました。とても素晴らしい建物です。当初の屋根は柿葺きでしたが、それを昭和6年から8年の3年間掛けて銅板に葺き替えています。この屋根の改修を担当しました。
屋根の総面積は6.600㎡程度ですが、何棟もの勾配の違う屋根が全て谷と棟でつながれています。葺き足は60mmほどです。最初は定尺四つ切で葺き足130mmでの改修を考えたのですが、「昔のままに改修」という方針でしたので、葺き足などは従来のものに合わせました。
しかし従来の屋根はほとんどの谷が雪で起こされているなどの故障も見られましたから、谷のはぜの位置や方向など安全上重要と思われる部分については事故が起にくいように、こちらの要望どおり変更していただきました。
建物の中の展示資料には、「定尺の四尺の板を9つに切った「九つ切」で、「80mmの葺き足」、と書かれているので、斉木さんの話と総合すると、昭和6年の改修で従来の杮葺きが定尺四つ切の銅板葺きになった。その後、平成の大改修で本来の杮葺きのイメージに近い9つ切の葺き足80mmで大部分を、短い部分は60mmで葺いたようである。
中庭から
明治、大正、昭和そして平成の匠たちが腕を競った三時代の様式を伝える貴重な建物。屋根はというと、下から見上げれば、一文字の横ラインが年輪の様に重なり、狙い通り杮葺きの表情が現われている。