No.15
(1/2) ルーフネット 森田喜晴
大波小波が連なる7千㎡の一枚屋根
江戸・明治・大正にわたる三様の建築様式
栃木県日光インターチェンジから3.5km。
日光旧田母沢御用邸は、嘉仁親王(後の大正天皇)の静養のために明治32年(1899年)に造営、その後、大正天皇即位に伴って、大正7年から9年にかけての大規模な増改築を経て現在に至っている。三階建ての部分は、旧赤坂離宮から移築されたもので、この建物は明治6年から22年まで明治天皇の仮皇居にあてられていたものだ。
日光旧田母沢御用邸の全景
(写真提供㈱小野工業所)
建築面積4,500㎡、部屋数106という大規模な建物は、江戸・明治・大正の3時代にわたって、(内外装、調度に係わる)時々の最高の匠によって維持され、御用邸の機能を果たしてきた。
歴史的、文化的に極めて貴重な建築であるとして、栃木県は修復整備を行い、平成10年から一般公開している。
屋根 ヤネ やね。ただただ屋根。7000㎡もの連続一枚屋根。杮葺きの滑らかなラインを銅板でどう再現するか、さらには「軽やかさ」の点でも、杮葺きを超える表現を設計者と板金職人は目指したのではないか。そんなパッションと挑戦のエネルギーを感じる屋根だ。
建物の表情を作るのには屋根と窓が大きな役割を果たす。日本建築は特に屋根の役割は大きい。その中でも旧田母沢御用邸では完全に屋根が主役である。
邸内に展示されている御所鬼
繊細な建物に不釣り合いなほど立派な唐破風の車寄せ。屋根の大きさ、形状に合わせて140種類の鬼が取り付けられた。車寄せの唐破風の上の御所鬼は最大のもの。
この鬼の上の3つの円筒は「経の巻」といわれることが多いが、経の巻は3つの円筒がほぼ水平に並んでいるのに対し、御所鬼では、鳥衾(とりぶすま)が3つ並んだように、上向きになっている。さらに寺院ではないから「経」ではない。正式には「経の巻」とは言わず「御所鬼」というそうだ。
複雑な屋根の重なり。
「はまぐり葺き」と谷の「逆はまぐり」
異なる勾配を隅棟の部分でどう切り替えるか。直線で切らずに、滑らかにつなぐとき「はまぐり葺き」で施工する。また平面でもはぜを叩きすぎて、つぶしてしまえば、単なる張り物風になってしまい、杮葺きの表情がでない。
谷の部分の「逆はまぐり」は雨仕舞いの点でウィークポイントになるため2重に葺かれている。また上の庇や屋根から雨が落ちてくる部分はもちろん「捨て葺き」が入るため2重だ。下葺き用のルーフィングには全面的にグレードの高い改質アスファルトルーフィングが用いられている。
抽象画を見ているような屋根
庭園からの景色
隅棟は、左右で勾配が異なる「振れ隅」である。はまぐり葺きによって、柔らかいラインを描く。反りとハマグリ。反りとハマグリ、一文字葺きに、逆ハマグリから起くり(むくり)に・・・。そんな繰り返しが延々と続いて7000㎡の屋根が展開する。
一つ一つの屋根の大きさはもちろん、勾配や反り、起くりの度合いが異なる。天皇が利用する格式の高い部分は反りを多用し、皇后が日常を過ごす部分は起くりで、柔らかさを表現したといわれている。