No.95
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
諏訪湖では、2022年1月から全面結氷が通算9日間に上り、1月23日に下諏訪町方面に伸びる氷の筋を確認。10センチの厚みの氷が40センチ程せり上がったことから、4年ぶりの御神渡りが期待されていた。しかし節分の3日、今季は御神渡りが現れない「明けの海」が宣言された。明けの海は4季連続で、記録が残る1443年(嘉吉3年)以降は76回目、平成以降は25回目となった。
御神渡りとは. 諏訪湖が全面結氷すると南の岸から北の岸へかけて氷が裂けて、高さ30cmから1m80cmに達する氷の山脈のことをいう。 これは諏訪神社上社の建御名方命(たけみなかたのみこと)がパートナー(妃神)である下社の八坂刀売命(やさかとめのみこと)のもとへ通った道筋といわれている。
この諏訪湖に面して立つ片倉館(かたくらかん)は、長野県諏訪市上諏訪温泉の温泉施設で、会館、浴場、渡り廊下の3棟が国の重要文化財に指定されている。このうち深さ1.1メートルの千人風呂は一般公開されているが、レストラン、休憩所などはコロナ禍対策として使用が制限されている。屋上からは諏訪湖を一望。200メートルほど先には、花火打ち上げ用の人口島・初島が浮び、諏訪大社と同じ祭神を祀る初島神社の鳥居がくっきりと見える。
片倉館は、大正から昭和の初期に日本における輸出総額の約4割が絹製品であった当時、日本の代表的製糸業者でシルクエンペラーと称された片倉家が地域住民に厚生と社交の場を供するため1928
年(昭和3年)に建設した温泉浴場で、それを運営する(財)片倉館が1929年(昭和4年)に設立された。
当時の片倉財閥二代当主、兼太郎が1922年~1923年(大正11年~12年)にかけて欧州へ視察旅行を行い、その際ヨーロッパ各国の農村には充実した厚生施設が整っている事に強い感銘を覚えた。特に世界的に有名な温泉地であったチェコスロバキア(当時)のカルロヴィヴァリ(ドイツ語名:カールスバード)に在った厚生施設が印象に残ったようで、自身の日記に訪問時の体験が詳しく記されているという。
温泉棟から中庭越しに会館塔の屋根
会館棟
会館棟車寄せ
うっすら雪を被った会館棟の屋根
温泉浴場棟
温泉浴場棟の尖塔
「カルロヴィ・ヴァリ」は、パステルカラーに彩られた美しい町並みの中に12もの飲泉場が点在する飲泉の聖地で、14世紀半ば、ボヘミア王であり神聖ローマ皇帝にもなったカール4世が偶然に温泉を発見したとされる。街の名称も、そのカール4世(カレル1世)に由来する。各地から著名人が訪れ、ゲーテ、シラー、ゴーゴリ、ショパンなどが同都市に滞在しており、ベートーベンが湯治したとか、エロイカ(交響曲第3番)が作曲されたとか・・・それを記念した碑が至る所で見られる。
大棟の上で雪止めをワイヤーで固定する銅金物は、小人が懸命に引っ張ているように見える。
片倉館の設計は1897年(明治30年)東京帝國大学(現東京大学)造家学科で学び、台湾総督府、旧久邇宮邸 (現聖心女子大パレス)、本所公
会堂(現両国公会堂)などを手掛けた森山松之助(1869~1949)によるもの。
建物は、日本の浴場では珍しい西洋風建築で尖塔と煙突、非対称な急勾配の屋根などヨーロッパの古都を思わせる。様式を表現するのは難しいが、同館HPでは「定型的な形式にはあてはめ難い個性的なもの、強いて言えば1900年前後から30年代にかけて、アメリカ等で発展したゴシックリバイバルまたはロマンティックリバイバルに属すると考えられる」としている。細部に於いては窓、切妻、レリーフ、ステンドグラス等各時代、各国の様式が巧みに採り入れられ、童話風の趣があり、「アンバランスを生じない非凡な設計が施されている」(「片倉館その歴史を辿る」より)。
スクラッチタイルの外壁とスレート屋根、尖塔や棟、ドーマーのとんがり屋根の銅板がロマンティックに流れ過ぎないよう引き締めている。
片倉館:昭和4年(1929) 9月、国指定重要文化財、建物総面積/750坪(2,479㎡)、温泉浴場棟/鉄筋コンクリート2階建て、会館棟/2階建て木造洋風建築