No.94
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
世界遺産登録されているのは、日光東照宮ではなく、「日光の社寺」すなわち、日光山内に隣接する『二社一寺』=二荒山神社、東照宮、輪王寺の計103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、その建造物群を取り巻く「文化的景観」である。ここでいう、「文化的景観」とは、世界遺産を捉える視点として新たに設けられた概念で、自然現象と人間の活動とがお互いに影響しあって形成された環境をさす。
平成11年12月に、日本で10番目の世界遺産として登録された建物の大部分は銅板葺きで、国産にこだわった黒漆塗りだ。その重文・国宝建物群を代表する陽明門は、平成の大修理の際、地元・関係者の強い要望で予定より2年早く竣工した。「国宝陽明門 平成の大修理竣工報告書」の中で、純白の軸組、漆黒の屋根壁、金で覆われた錺金物が上下に積み重なる姿は「白黒金の光の建築」と称えられている。
「日光の社寺」は、徳川家康の霊廟である東照宮の造営によって、現在の建造物群がかたちづくられ、三代家光以来、代々の将軍の社参をはじめ、朝廷からの例幣使の派遣や、朝鮮通信使の参詣が行われるなど、江戸時代の政治体制を支えるための重要な役割を果たしてきた江戸時代の代表的な史跡のひとつである。
東照宮
東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成したとされる。また、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられ、本殿・石の間・拝殿、陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されている。
輪王寺 大猷院
輪王寺は8世紀末に、日光を開山した勝道上人の創建による四本龍寺を起源とし、日光山の中心寺院として発展してきたが、承応2年(1653年)に、徳川家光の霊廟である大猷院が境内に造営されて以来、徳川幕府の尊崇を受けた。大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿が国宝に、その他の37棟が重要文化財に指定されている。
祖父家康を敬愛し「決して東照宮より華美にしてはいけない」という家光の遺言により、煌びやかさでは一歩引くものの、その分荘厳さの点において、大猷院を推す意見も少なくない。
国宝唐門の屋根。東西(前後)に龍、南北(左右)に恙(つつが)。
昼は龍が、夜は恙が四方を守る。
東照宮 唐門から拝殿
東照宮 鼓楼
東照宮 五重塔
輪王寺大猷院(たいゆういん)夜叉門。本殿側より。
輪王寺大猷院 拝殿
輪王寺大猷院 牡丹門
輪王寺大猷院 御水舎
二荒山神社 鳥居より神門、拝殿
輪王寺大猷院 仁天門(表門)
二荒山神社 茅の輪の先は拝殿
二荒山神社
二荒山神社は古くから日光における山岳信仰の中心として崇拝されてきた神社で、中世には多数の社殿が造営された。また、江戸時代になると、徳川幕府によって新たに本殿や社殿が造営され、本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されている。
拝殿は、元和5年(1619年)に造営されたもので、正保2年(1645年)に本殿の移転に伴い再建、その後、屋根の葺き替え以外の変更はない。
東照宮と大猷院霊廟は、山の地形を利用して、石垣や階段によって境内を広く、時に狭く見せたり、参道を曲折させてゆとりや緊張を見せるといった工夫が施されている。日本の城郭建築で築き上げられた最高の建築技術で造営され、逆サイホン原理を利用した水道や排水設備なども当時の最新の技術によって整備された。