No.90
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
蹴鞠と和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅跡に建立されたことから、蹴鞠のひいてはサッカーの聖地として有名になってしまった白峯神宮。実は、第75代 崇徳天皇を祀るために、明治元年に明治天皇の勅願によって社殿が新造された新しい神社である。
飛鳥井家の邸宅にはもともと「毬まり」の守護神である「精大明神」が祀られていたから、こちらが先住神である。
本殿は賀茂御祖神社(下鴨神社)を模した流れ造で建造され、屋根は銅板葺。拝殿・神門・手水舎・瑞垣などは檜皮葺きから銅板葺きに変更されているが、築地塀とともに創建時と同じ佇まいを見せている。
菅原道真、平将門とともに日本三大怨霊として名高い崇徳院は、保元の乱(1156)に敗れ、讃岐国に配流された。血書をもって京都への還幸を願ったが、かなわず、憤怒の姿のまま、長寛2年(1164)に「日本国の大魔縁となる」と宣言して舌をかみ切り、そのまま四国・坂出の白峯山陵に葬られた。
平清盛以降、政治の実権は武士に移り、「皇をもって民となし…」の復讐宣言は実現したことになり、天皇家にとっては最も恐ろしい怨霊といえる。明治維新のさい、孝明天皇の意思を継いだ明治天皇は白峯宮を建て、淳仁天皇とともに王政復古に祟りがないよう鎮魂している。崇徳院がいかに恐怖であるかを示しているようだ。
明治の新制度により官幣中社としての待遇をうけ、昭和十五年には官幣大社に昇格、「白峯神宮」となった。
崇徳天皇の歌「瀬をはやみ」の歌は百人一首の一首でもあり、崇徳院が1150 年に藤原俊成(しゅんぜい。定家の父)に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首である。
激しい流れの水が、岩に当たって堰き止められ、その両側から2つに分かれて流れ落ち、再びひとつにまとまる。離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠った恋の一首とされる。
今、白峰神宮は、怨霊となった崇徳天皇よりも「まりの神様」として崇敬され、1998年のワールドカップ出場を機に日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて、使用された公式球が奉納さ
れている。野球・サッカーを始めとする球技や新体操、また日々の習い事に至るまでの目的の上達を願う参拝者が多く訪れるという。「縁起の石鞠を1 回廻して球運を授かっていただきます。ただし、廻すときに手や指を詰めないように充分にご注意下さい。」と書かれている。毎年4 月14 日(春季大祭)と、7 月7 日(精大明神祭)には蹴鞠保存会によって、古式ゆかしく蹴鞠奉納が執り行われる。
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