銅屋根クロニクル

No.88

首都の中枢、52階段の上は神仏習合の神社
山王日枝神社(東京都)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

江戸の総氏神であり、三大祭り「山王まつり」で有名な山王日枝神社。首都の中枢永田町。首相官邸、国会議事堂を左右に見て山王坂を下ると、高層ビルの間にちょっと珍しい鳥居が見える。笠木の上に三角の屋根(破風)が乗る独特の山王鳥居。大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る山王系神社特有の鳥居である。男坂の登り口である52段の階段がきつければ、南側のやや緩やかな女坂を選ぶこともできる。登り切れば神門、その脚間から拝殿の朱と緑青が輝く。

神門の外側の扁額(扁額)は「日枝神社」、内側の扁額には「皇城之鎮」の文字。寺院の仁王門の形式で一対の随身像が、拝殿側には神猿の木彫がある。

山王日枝神社の主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。創建の年代は不詳である。文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。徳川家康の産土神(うぶすながみ)であり、江戸城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。徳川家光の代に半蔵門外に遷座、

山王日枝神社

さらに萬冶2年振袖火事のため現在地へ遷座した。昭和20年(1945年)の東京大空襲で国宝の社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート、銅板葺きで再建された。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で国宝の社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート、銅板葺きで再建された。

神門

神門の鬼

神門の鬼

拝殿

拝殿

神門右側より

神門右側より

表参道の山王鳥居

表参道の山王鳥居

外堀通り側の山王鳥居

外堀通り側の山王鳥

裏参道の黒鳥居

裏参道の黒鳥居

日枝・山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と言われた。明治時代には准勅祭社・官幣大社に定められ、現在では東京十社の一つに定められている。また、2年に一度、山王日枝神社が執り行う山王祭は、日本三大祭(祇園、天神)・江戸三大祭り(神田まつり、深川八幡まつり、山王まつり)のひとつに数えられる。

山王日枝神社の由緒書きによると、三代将軍家光は一般市民の参拝の便を企るため半蔵門外に遷座、朱印地を600石に加増、四代家綱の代、萬冶2年振袖火事のため永田町溜池に臨む景勝の星ヶ岡に遷座、現在に至る。歴代の将軍世子の社参絶えることなく、都度神馬・太刀(国宝)等を献じた。山王日枝神社の日枝・山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と称えられた~とある。

神門脇の神猿

神門脇の神猿

拝殿脇の夫婦神猿

拝殿脇の夫婦神猿

神猿(まさる)は魔除けの象徴とされる。〜猿は全国に生息していますが、何故か古来より日吉といえば猿といわれ、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになりました。「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起のよいお猿さんです。(同社案内より)〜

山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られる神の別名であり、比叡山に鎮まる神を指した。日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。赤坂山王日枝神社もその分霊社の一つ。神仏習合期には「山王権現」や「日吉山王」とも称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。また江戸時代には武士が城や国の鎮護の神として分霊し、全国に広まった。

アクセス:東京都千代田区永田町2-10-5
最 寄 駅:
溜池山王駅・国会議事堂前駅・赤坂見附駅・赤坂駅・永田町駅
公式サイト:https://www.hiejinja.net/

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