No.81
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
大相撲の聖地・国技館。その大屋根は四角形の隅を落とした隅切り方形という形である。大鉄傘と呼ばれる天井高35mの鉄骨屋根の重さは3,000トンを超える。屋根の一辺の長さは94m、表面をおおう銅版も、幅20cm、長さ3mの超大型サイズで、緑青処理銅板による一文字葺き。
現両国国技館は2代目で、1984年に竣工。初代国技館は1909年両国回向院境内に初の屋根のある相撲常設会場として建てられ、辰野金吾が設計を担当した。その後焼失と再建を繰り返している。
1981年に日本相撲協会が国技館を蔵前から発祥の地である墨田区両国に戻すことを計画していたが、両国は墨田区の中でも特に浸水被害がひどい地域だった。
関東大震災の時には、旧両国国技館の井戸水が多くの被災民を救ったという歴史がある。新しい国技館の建設予定地は都市型洪水が起きやすい場所である。
そこで当時の墨田区長らが相撲協会、国技館に雨水利用システム導入することを申し入れた。現在、屋根の面積は8,360m²。雨水を地下にある1,000m³の雨水槽に貯留して国技館で使用する雑水の70%をこの雨水で賄っており、震災時にはこれを非常用生活用水として利用することができる。日本最大規模の先駆的な雨水利用システムが完成した。
満員御礼時には約12,000人の利用がある国技館。水使用量全体の70%を雨水利用だけでまかなっている。地下に打った杭の間の空間を雨水タンクとして利用することで大きな追加コストなしに、構造体としても安定する。積雪時は雪を溶かすために雨水が使われる。
大屋根の上の金色の頭飾りは8分割の開閉式で、災害時には排煙機能を発揮する。
日本古来の文化の一つである相撲の歴史は古く、『古事記』や『日本書紀』まで遡る。その相撲のために専用の建物を作り、それを「国技館」と称して両国の地に開館したのが明治42(1909)年のことであった。命名者は当時の売れっ子冒険小説家の江見水蔭(えみすいいん)。
両国駅の屋根のように見えるが、ホームから見れば、方形の面取り(隅切り)部位がよく見える。
現在の国技館の東500mに位置する野見宿禰神社(東京都墨田区亀沢2-8-10)には歴代横綱の碑があり、今でも東京場所の前には相撲関係者が例大祭を行っている。
相撲は、神話時代の力持ちの力比べがその始まりとされる。野見宿禰(のみのすくね)は、360年ごろ当麻蹶速(たいまのけはや)と垂仁天皇の前で力比べを行って勝者となり「相撲の祖」とい
出雲 野見宿禰神社
われるようになった。野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)の別称。