No.65
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
尾山神社(おやまじんじゃ)は、石川県金沢市尾山町に所在する神社。江戸時代後期から明治にかけて、各地で藩祖を祀った神社が創建された。尾山神社は加賀百万石の藩祖である前田利家と妻お松の方を主祭神とし、1873年の創建。ご利益は「文武両道」「必勝」「夫婦円満」「子宝安産」だ。
拝殿格天井に極彩色で描かれた「うどんげの花」、甲冑、刀剣、能面などの宝物他、チェックポイントは多いが、なんといっても目を引くのが、神門だろう。
屋根と2層目・3層目の壁面にも銅板が張られている。和漢洋の三洋式を混用した異色の楼門。「神門」と称され、明治8年建築の国指定重要文化財である。加賀藩の梅鉢紋とギヤマン、木と石の混構造、斬新なデザインに対して、建設当時は反対意見も出た前衛的な建築である。
第3層には四面五彩のステンドグラス(ギヤマンと言われている)張り。当時、御神灯が点灯され、日本海を航行する船から見えたそうだ。
三層目の屋根に据えられた避雷針は現存する日本最古のものとされる。
棟札には、建築総管は藤田貴知、工匠長は津田吉之助とある。幕末から明治にかけて、加賀地方で活躍した大工棟梁である津田吉之助が、見よう見まねで建てた擬洋風建築の三層の不思議な楼門がこの神門というわけだ。その「見よう見まね」具合と、基本的技術の確かさ、まじめさが次の集合写真(上段)のように細部の仕上げに、現れている。
その第一層には戸室石、俗称加賀花崗岩の石積みで、3つのアーチを持ち、石積みの下地には煉瓦と漆喰。二層・三層目の壁は銅板で覆われ、細かな木工細工を施した高欄を回し、擬宝珠の上部に銅板の帽子が載る。三層の大きな窓の4面はギヤマン(ステンドグラス)張りで、かつてはその中で灯りを点灯して、その灯りは日本海を航行する船の目印になっていた。長らくその灯は消えたままだったが、平成の神門保存修理を経て、現在は創建時のように、明かりが灯るようになっている。
夜の拝殿
当初、金沢城二の丸御殿で利用されていた瓦と一部銅板葺きの東神門。二の丸御殿はたびたび火事にあっているが、この門は一度も燃えなかった。その理由としては、門に施された龍の彫刻が水を吹いて火災を免れたという伝説がある。その後、廃城となり、金沢城跡が陸軍の拠点となると、訓練などに支障が出るという理由から、卯辰山の寺院に移動された。移動後、陸軍が二の丸御殿で火事を起こしている。卯辰山の寺院がなくなると、尾山神社に移され、現在は裏門として利用されている。 金沢城唯一の生き残りとして貴重だ。
尾山神社が建設される前に、この地にあった金沢城金谷御殿の庭に手を加えたのが現在の神苑。別名「楽器の庭」という。琴を模した琴橋や琵琶をイメージした琵琶島など、雅楽で使われる楽器や衣装などをモチーフにした橋や島で構成されている。