銅屋根クロニクル

No.62

二重螺旋の重要文化財 会津さざえ堂(福島県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

会津さざえ堂の二重螺旋構造に関して、昭和40年に学術実測調査を行った故小林文次博士(日本大学理工学部教授)は、建築家僧・郁堂の感性を「ダビンチにつながる天才的な創造力」と激賞した。また2009年、「会津さざえ堂を愛する会」が東京で行った「旧正宗寺三匝(そう)堂構造調査報告会」に参加した会津若松市議会の川島広盛議長は、~
①カーサ・ブルータスが行った、国内50名の著名建築家による人気投票で、さざえ堂は、出雲大社を抑え堂々の一位となった。
②二重螺旋はDNA構造につながり、出口と入り口が違うのは動脈と静脈に例えられる。
③さざえ堂を支えるためには、地元民がシビックプライドを持ち、サイレントパトロンとなることだ。~などの話があった、と会の様子を報告している。

二重螺旋はDNA構造

会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5 m、六角三層の仏堂である。初層は直径 6.3メートルの六角形平面を持ち、正面には唐破風の向拝を設けている。屋根はもともと木羽(こっぱ)葺きだったが、現在は銅板葺き。正式名称は「円通三匝堂( えんつうさんそうどう)」。( 重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。

栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂で、当時ちょっとした流行であったそうだ。

堂内は二重螺旋構造の回廊となっており、滑り止めのついたスロープを昇ってゆくと、頂上は太鼓橋になっており、そのまま下りになる。内側の壁面に沿って三十三観音や百観音などが配置され、登って下って、裏口に出ると、建物内を三度回ることになる。堂内を進むだけで、すれ違うことなく巡礼できてしまうわけだ。入り口には、「さざえ堂の特色」として、「一、上りも下りも階段がない。」「一、一度通った所は二度通らない。」「○土足のまま二~三分で見られます。」と書かれている。

「仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいている」というそうだが、右回りに3回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、正しくは三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称「栄螺堂(さざえどう)」と呼ばれる。

いわば江戸時代における、庶民のためのお手軽巡礼の建物であり、飯森山はちょっとした観光地であったようだ。深く内省的な信仰の対象というより、庶民がワイワイお参りする場だったであろう、というテーマパーク的雰囲気は、現在の建物の外観が醸す匂い(雰囲気)から今でも容易に想像できる。

飯森山はちょっとした観光地であったようだ

六本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)

このさざえ堂を建立したのは、「新編会津風土記」によると、会津若松の実相寺の僧、郁堂。福島県教育委員会は「仏堂建築としては、他に例を見ない特異なものである。六本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使して、二重螺旋のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義がある」と現地の解説板に記している。

神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、紆余曲折を経て、栄螺堂は最後の住職の子孫である飯盛家の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。

さざえ堂は、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、長禅寺を含めて全国で 5 棟しか残っておらず、会津さざえ堂は大変に貴重な建物である。

さざえ堂を建立したのは、「新編会津風土記」によると、会津若松の実相寺の僧、郁堂。

建築の価値については、飯森当主が、日本大学理工学部教授故小林文次博士による、言葉を伝えている。

「さざえ堂二重らせんの発想は、日本の仏堂建築の伝統から突如として異質の構想が産まれたとは考えられない。享保五年(1721)の洋書解禁によりオランダから輸入された洋書の中に、秋田藩主で画家であった佐竹曙山のスケッチ帳にある二重らせん階段がある。これはロンドン出版のモク

ソン(1627~1700)著の写しであり、これを通じて一部に知られている事実があった。これは遠くレオナルド・ダ・ヴィンチにまで繋がっているものであり、これらとさざえ堂のつながりは定かではない。しかし西欧の例が単なる通路であったのに対し、中心部に観音像を配し、あたかもライトのグーゲンハイム美術館を思わせるような会津さざえ堂は単なる模倣ではなく天才的な創造と見るべきである。」

現在さざえ堂の所有者は、さざえ堂脇の「山主飯盛本店」。山主飯盛本家は、さざえ堂建立以前から飯盛山を拝領した名家で、今も円通三匝堂を守っている。

「山主飯盛本店」では、 拝観記念として「さざえ堂学術調査実測図6枚綴り解説付」、会津さざえ堂オリジナルマグネットなどを販売している。

この資料は昭和40年、学術実測調査を行った日大小林文次氏による、さざえ堂の詳細図面や解説、飯森家当主の貴重な記録であり、見学者はぜひ購入し、建物の維持保全に協力を願いたい。

また、屋根改修については、この資料の中に、現当主による記録「さざえ堂と飯盛家」がある。その中から、屋根に関する部分を見てみよう。

◎大正四年(1915)には屋根葺替(ふきかえ)工事がなされた。

◎昭和七年には、さざえ堂従来のこけら葺き屋根の上に銅板を重ねて葺き、耐久を図り面目を一新した。

さざえ堂学術調査実測図6枚綴り解説付

◎昭和四十七年から三ヶ年に亘り大屋根、庇屋根、向拝(こうはい/ 玄関にあたる。)屋根の抜本的修理を行った。すなわち、垂木(たるき)の交換追加補強、野地板更新、銅板総葺替え等である。湊町柄澤(みなとまちへざわ)の渡部丑吉(わたなべうしきち)大工、花春町 の渡部守男(わたなべもりお)屋根職の手に依ったが、従来のように、台風ごとに屋根銅板が吹き飛ばされるような心配はなくなった。

アクセス:〒965-0003 福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
     TEL 0242-22-3163
     ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」下車、徒歩5分
     磐越自動車道:会津若松ICより約15分

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