銅屋根クロニクル

No.59

60年振りに国宝本堂の銅板屋根葺き替え
比叡山延暦寺(滋賀県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

「延暦寺(えんりゃくじ)」とは、比叡山山中1700ヘクタールの境内に点在する100の堂宇の総称である。延暦寺という一棟の建造物があるわけではなく、山内を地域別に、東の「東塔(とうどう)」、西の「西塔(さいとう)」、北の「横川(よかわ)」の三つに分け、これを三塔と称し、それぞれに本堂(ここでは中堂という)がある。平成7年、比叡山延暦寺は世界文化遺産に登録されている。

最も有名な根本中堂は東塔の本堂で、三塔の総本堂でもある。国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊を平成二十八年度から約十年をかける大改修が始まっている。
本堂屋根の銅板葺き、廻廊の栩葺き(とちぶき)を葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容で、すでに素屋根(すやね)がかけられ、工事の期間中も参拝は可能。一部工事内容の見学も可能だ。

足場の上から、栩(とち)葺きの詳細や銅板の棟包み、鬼との取り合いなど、細かな技を間近に見て、堪能できる。本尊の薬師さんや最澄さんには申し訳ないが、お参りもそこそこに、屋根に見入ってしまう。廻廊の屋根は、栩葺きで厚さ2.4cm、長さ30cmの板を、8.5cmずつずらして留めている。屋根全体に、板が割れたり、軒先が腐朽するなどの破損が見られるため、軒付を含めた屋根全面の葺き替えにいたった。

今回は、修理が始まる前、2012年に撮影した写真と合わせて紹介する。
 根本中堂、廻廊とも柱、頭貫(かしらぬき)より下部は「ちゃん塗り」、組物より上部は「丹塗」で塗り分けられている。昭和29年の修理で宝永年間の古文書の仕様に基づき塗り直しており、今回も同じ仕様で、全面の塗り直しが行われる。

比叡山延暦寺(滋賀県)

屋根全面の葺き替え

大講堂

大講堂

釈迦堂

釈迦堂(転法輪堂)

常行堂・法華堂

常行堂・法華堂(にない堂)

解説によると。丹塗とは・・・丹〔根本中堂・廻廊の場合は鉛丹(えんたん)と弁柄(べんがら)を混ぜたもの〕を膠水(にかわすい)で溶き、木部に塗る塗装方法。偶然先月号の出雲大社でも、登場したちゃん塗り。根本中堂・廻廊では丹塗の膠水の代りに、防腐、防水効果を期待して、荏の油(えのあぶら:荏胡麻の種子を圧搾して得る油)、桐油、松脂を混ぜたものを用いる。

大講堂

東塔エリアの重文・大講堂の本尊は大日如来。現在の建物は昭和31年の火災後、坂本にあった讃仏堂を移築したもの。比叡山で修業しその後、有力な宗派の祖師となった、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの等身木造が奉安されている。

西塔の本殿である釈迦堂(転法輪堂)

一般には本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られている。現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、三井寺の園城寺(三井寺)の金堂だったが、秀吉が文禄四年(1595年)に西塔に移築したもの。 国重要文化財に指定されている。近年の修理では昭和30年に解体修理が行われている。

栩葺きの回廊の奥に、銅板本瓦棒葺きの本殿。

栩葺きの回廊の奥に、銅板本瓦棒葺きの本殿。

この時銅板葺きであったが寛政十年(1798)実はすでに銅板葺きであった、という寺の記録が残っている。

この釈迦堂の屋根葺き替え工事ついては銅センター発行の「銅板葺き屋根」に大森健二氏が詳細な解体修理報告書を書いている。曰く「銅板の葺き仕様は、瓦棒と谷部を一枚の銅板で作り、上下30㎜のハゼ、葺き足は24~27㎝に葺き上り、つり子はなく、釘打ちとしていた。今回の修理では、かつて栩葺きであったことの歴史的事実の証として栩葺き型の銅板葺きとした。」

常行堂・法華堂(にない堂)

同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっている。向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂。
弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれ、重文指定。

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