銅屋根クロニクル

No.58

「ちゃん塗り」が復活した巨大神殿
出雲大社 (島根県) 

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

出雲大社(いずもおおやしろ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神。「だいこくさま」である。古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、明治4年(1871)に出雲大社と改称。出雲大社の公式サイトには「いづもおおやしろ」とあるが、一般的には「いづもたいしゃ」と読まれている。

神在月(旧暦10月、出雲以外の全国では神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる。「天下無双」と称される出雲大社の現在の本殿は延享元年(1744)に造営されており、昭和27年(1952)に国宝に指定された。

本殿の高さは8丈(24メートル)にも及び、" 大社造"と呼ばれる日本最古の神社建築様式で、特徴は切り妻、妻入りの構造で、平面は九本の柱が田の字型に配置された正方形の間取りである。

出雲大社 (島根県) 

平安時代の本殿の模型(十分の一)

古代出雲歴史博物館に展示されている平安時代の本殿の模型(十分の一)。これを裏付ける巨大柱も発掘・展示されている。

檜皮葺の本殿

檜皮葺の本殿。銅板の千木と勝男木はチャン塗。

銅板の千木と勝男木はチャン塗。
古代本殿柱

古代本殿柱

拝殿

拝殿

心御柱と称する太柱

その中心には心御柱と称する太柱があり、その正面向 かって右側の側柱との間の板壁で殿内が仕切られ、この壁の奥に大国主大神が鎮座する内殿(神座)がある。その結果、神座は本殿と同じ南向きではなく、西向きとなる。このことが、①ねじり方向が逆のしめ縄、②二礼四拍手一礼という拝礼方法と並んで出雲大社が他の神社と大きく異なる点だ。

古代には3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱とし、高さ16丈(48メートル)の本殿であったという。 千家國造家(出雲大社の宮司家)に伝わる古代本殿の平面図「金輪御造営差図」が、 その壮大な本殿の容姿を今に伝えており、 平成12年には境内より、古代本殿の柱が「金輪御造営差図」が示す通り3本束ねの姿で発掘された。

拝殿

現在の拝殿(はいでん)は、昭和28年5月に、荒垣(あらがき)内にあった古い拝殿が焼失し昭和34年5月に戦後の本格的な木造建築として巨大な新拝殿が竣工した。大社造と切妻造の折衷様式で屋根は銅板葺き。

神祜殿

神祜殿

神祜殿

昭和56年(1981)竣工、宝物殿として出雲大社に伝わる宝物を展示・公開してきた。設計は菊竹清訓。
「平成の大遷宮」を記念した改修工事のあと、平成12年(2000)に境内から出土した古代本殿の心御柱などを展示している。

神楽殿

本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、明治に入り、出雲大社教の神殿としても使用されている。
 昭和56年(1981)に現在の神楽殿として規模を拡張して建て替えられた。正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ約4.5トン。数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられ、神楽殿前庭には高さ47メートルの国旗掲揚塔が聳える。

神楽殿

神楽殿

そがのやしろ

素鵞社

素鵞社(そがのやしろ)

宝物館

彰祜館

彰祜館(宝物館)

正面に位置し、脇塀を介して東西の廻廊につながる。

八足門

八足門:正面に位置し、脇塀を介して東西の廻廊につながる。

素鵞社(そがのやしろ)

祭神は八岐の大蛇退治で有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)。大国主大神の親神である。
 本殿後方の山際に築かれ建立は延享2年(1745)。二間×二間、切妻造妻入。檜皮葺きの大社造。本殿と同じ構造で一回り小さくした形。違いは心御柱がない点のみ。こちらは本殿と違って、近くからじっくり見ることができる。

彰祜館(宝物館)

出雲大社・彰古館は大正3年(1914)に、出雲大社の宝物館として造営された。出雲大社に伝わる各種資料を陳列・展示するための建物で、「神楽用の楽器や楽譜」、「出雲大社の1/30分のサイズの模型」、古文書類が多数展示されている。境内の他の社殿とは趣を異にする。木の壁と一文字葺きの銅板葺きによる端正な建築だ。

チャン塗のこと

檜皮や杮葺きの屋根では棟や鬼、千木、勝男木は銅板で覆われる。通常これらは緑青の印象が強く、遷宮の報告書によると、前回の遷宮昭和28年(1953)の際、銅板の交換や塗装は行われなかった。今回の遷宮に際して、明治以前の記録が調べられ、「銅つつみちゃんぬり」「ちゃん塗仕立」という記述があり、松ヤニ、エゴマ油、石灰、鉛などの成分も解読した。その上でチャンは千木・勝男木・箱棟・鬼板さらには、破風板などに塗られ、千木・勝男木などの棟飾りには油煙を混ぜた「黒ちゃん」、破風板の錺金具には緑青を混ぜた「緑ちゃん」が施された。

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