銅屋根クロニクル

No.57

繊細にして荘厳 戦いの神を祀る美しい本殿
香取神宮(千葉県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

千葉県北東部、香取市香取に鎮座する下総国一宮(しもふさのくにいちのみや)・香取神宮。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮(銅屋根クロニクル 35 で紹介。祭神はタケミカヅチ)と、千葉県香取市の香取神宮(祭神はフツヌシ)は、利根川を挟んで比較的近くにあり、日本神話の中でも深いかかわりのある神様が祀られる神社である。東京方面から行く際には、この2社を セットでお参りすることが多い。

古事記によればイザナギとイザナミは、夫婦神で、天つ神から、まず島を作ることを命じられ、日本列島となる島々を生み、島を生み終えると、夫妻は神様を生み始めた。全部で35人の神様が生まれたが、最後に生まれたカグツチ(火の神様)に陰部を焼かれたのがもとで、イザナミは亡くなってしまう。イザナギは怒って、カグツチを切り殺した。その刀についた血が飛び散り、その血からまた、タケミカヅチノミコト、フツヌシノオオカミほか何人もの 神様が生まれ、そのひとりが、フツヌシに関しては、古事記には記述はなく、日本書紀にだけ登場する。いずれもアマテラスよりも先に生まれた神様である。刀から飛び散った血から生まれたということで、タケミカヅチもフツヌシも、勇ましい武運の神とされる。

古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が篤く、『神宮』という称号で呼ばれたのは、明治以前には伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3つだけであった国重文の香取神宮本殿・登録文化財の黒漆塗りの拝殿の屋根は、見事な檜皮葺。これに対して総門、手水舎、楼門、祈祷殿(旧拝殿)、神饌殿、の屋根は銅板の一文字葺きとなっている。

参道から石鳥居を通して朱練りの総門の唐破風、緑青の美しい屋根が見える。この総門下の御影石製の石鳥居は、平成10年、天皇即位10年を奉祝して、香取市民が奉納したもの。また境内の入り口になる総門は、昭和17年、皇紀2600年奉祝香取神宮境内整備事業の一環として竣工した。 朱塗り、銅板葺の手水舎は昭和15年に、これも別の市民から奉納された。

拝殿。後方に本殿。

忠臣蔵の神社 大石神社(京都府)

本殿

総門

楼門

祈祷殿

鮮やかな朱塗りの楼門は、元禄13年(1700)、本殿と同じく、徳川5代将軍綱吉の造営。扁額の文字は東郷平八郎によるもので、昭和58年に国重文指定。

祈祷殿は旧拝殿で、現在の拝殿が造営された際移築され、祈祷殿として用いられている。造営は本殿・楼門と同じ時期で、平成19年に、県指定文化財となっている。

朱塗りの楼門をくぐると、正面に荘厳・緻密・凝縮感あふれる拝殿が見える。社殿に対して適切な表現とは言えないが、上等な造りである。黒漆塗りで上部に彩色を施し、多すぎない彩色と、引き締まった黒漆が荘厳な雰囲気を漂わせている。特筆すべきは緻密な屋根の檜皮葺だろう。

アザラシの皮膚のようだ。写真は真夏の午後。屋根をじっと見ていると周囲の喧騒を吸い取っているような不思議な感覚に襲われる。その檜皮葺のエッジを立派に締めている銅板の棟仕舞も何やら誇らしい。もちろん建物に合わせて黒漆塗りである。

拝殿の後方、千木、鰹木野見えるのが本殿である。拝殿・幣殿・本殿と連なる権現造りで、 造営は元禄13年(1700)、5代将軍・徳川綱吉によるものだ。

JR 佐原駅下車、タクシーで約10分。バス又は、JR 香取駅(無人) 下車、徒歩30分(約2km)香取駅からJR 成田線 佐原駅より下り1 駅(約5分)

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