銅屋根クロニクル

No.52

兎神社の屋根は高級缶詰 岡崎神社(京都府)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

京都市左京区岡崎東天王町に鎮座する岡崎神社。別名「東天王」。御所の南側の丸太町通と、東山の麓を南北に走る白川通りが交差するところが東天王町。ここは永観堂、南禅寺への入り口でもある。平安神宮の北、丸太町通に面する岡崎神社は、街中にあるにも関わらず鬱蒼とした森があり、裏は黒谷から真如堂はては吉田山につながる丘である。

正月には狛犬の位置にウサギの提灯が飾られる。観光ガイドとも縁の薄い岡崎神社、新緑の時期には辺りの喧騒がここには届かず嘘のように静かである。かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。境内の手水舎には黒御影石の兎がいて、水を掛け腹を擦って祈願すると子宝に恵まれ安産になる、と信仰を集め、卯年の正月は賑う。

銅屋根クロニクルとしての見どころは、檜皮の屋根を丁寧に覆う銅板葺きだ。拝殿、本殿、能舞台、手水舎、摂社の屋根が銅板で覆われ、本殿の屋根はすっぽりくるまれている。

数年前このコーナーで茅葺きを金属で覆う「缶詰屋根」を紹介したが(当協会HP[あの屋根!この屋根!] http://www.kinzoku-yane.or.jp/feature/n_10.html 参照)、岡崎神社は程度のよい檜皮葺を銅板で覆った、いわば「高級缶詰」である。

境内に京都市が設置した解説板によると祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)とその子・三女五男八柱神を祀る。

延暦13年(794)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つとされ、都の東に鎮座するころから東天王と称される。清和天皇が、貞観11年(869)に造営し、播磨国廣峯から祭神を迎え祀り、当時同地にあった東光寺の鎮守社の役割を果たした。治承二年(1178)に中宮の出産の際、奉幣を賜ったことから安産の神として信仰され、また創始時の王城守護方除けの勅願により、今も方位除・厄除神として信仰されている。

屋根屋ともっとも縁があるのは、摂社の一つの雨社(写真右上)だろう。大山祇命(おおやまつみのみこと)、句々廼馳命(くくのちのみこと)、国挟槌尊(くにさつちのみこと)、豊宇気媛命(とようけひめのみこと)、闇象女命(みづはのめのみこと) が祀られている。五穀豊穣を祈る雨乞いの神。安目社(あめしゃ)とも表記されることから、目の病気平癒のご利益も謳われる。

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