No.49
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
象頭山(ぞうずさん)の中腹に鎮座にする「さぬきのこんぴらさん」金刀比羅宮(ことひらぐう)は海の守護神である大物主を祀る。江戸中期以降、「金毘羅船々 追い手に帆掛けて シュラシュシュシュ」と歌いながら、全国から参拝者が訪れる。
「さぬきのこんぴらさん」は琴平山の広い境内に囲まれ、785段の階段を上ると本宮にたど り着く。国重文の旭社は二層の入母屋造り、屋根は銅瓦葺きである。
「金毘羅」とは本地垂迹思想※による鎌倉時代以後の呼称で、明治元年(1868)の神仏分離令以後、元の名前に戻ったもの。
古くから漁師や海の男からの信仰を集め、「金毘羅船々…」の歌は金毘羅参りの船は難航しなかったことから、元禄時代に船頭たちが歌ったのが始め、と言われている。
今回紹介するのは、東京・虎ノ門の真新しい高層ビルに囲まれた虎ノ門金刀比羅宮(ことひらぐう)である。
万治三年(1660)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である琴平山(象頭山)に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の分霊を当時江戸藩邸があった芝・三田の地に 勧請した。延宝七年(1679)、江戸城の裏鬼門にあたる現在の虎ノ門に遷座。以来江戸市民の熱い要請に応え、毎月十日に限って邸内を開放し、参拝を許可したという。先の戦災により焼失したが、昭和二十六年(1951)に伊東忠太の設計で拝殿と幣殿が再建された。
くっきりとした伊東式楷書の樋はここでも存在感を放っている。
いずれも檜造り、銅板葺きの権現造り。湯島聖堂、築地本願寺などを手掛けた建築史家、伊東忠太の設計による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。平成十三年(2001)に東京都選定歴史的建造物に指定された。なお幣殿の奥に位置する本殿は昭和五十八年(1983)にRC造で再建され、この屋根も銅板葺きである。
百度石
正面に「百度石」、背面には「大願成就」の銘があり、心願が叶えられたお礼に建てられたものであることが分かる。こうした百度石が保存されているのは港区内では非常に珍しく貴重なものとして、平成九年(1997)に港区文化財総合目録に登録された。
銅鳥居
文政四年(1821)に奉納された明神型鳥居で、「金刀比羅大神」の扁額が揚げられている。左右の柱上部には四神の彫刻が施されており大変珍しい。四神とは四方の守護神であり、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武が守る。伊東忠太お気に入りの霊鳥霊獣たちである。柱の下部には奉納者である、芝地域の商人や職人の名が刻まれている。
神楽殿
真新しい銅板葺きの屋根。毎月十日には里神楽が奉納される。奉納時間は原則、一月・十月を除いた毎月10日の 11時40分~、14時~、15時~、17時~。ただし十日が日曜・祝 日の場合はない。平成十三年(2001)に港区指定有形文化財・建造物として指定された。
※ほんじすいじゃくせつ【本地垂迹説】:本地である仏・菩薩が、救済する衆生の能力に合わせた形をとってこの世に出現してくるという説。日本では神道の諸神を垂迹と考える神仏習合思想が鎌倉時代に整備されたが、その発生は平安以前にさかのぼる。垂迹である神と、本地である仏・菩薩との対応は必ずしも一定していない。(大辞林)