No.43
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
厳島=宮島は周囲31キロ。松島、天橋立とならんで安芸の宮島は日本三景のひとつとして有名な島です。古くは「伊都岐島神社」と記され、全国に約500社ある厳島神社の総本社でもあり、ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されています。
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の3柱。厳島神社の鎮座するいつく島とは「神霊の斎(いつ)き祀られる島という意味で、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられています。また名前の由来は神託を授けたイチキシマヒメ(古事記では市寸島比売命、日本書紀では市杵嶋姫命と表記されている)から転じたものとする説もあります。
厳島神社自体が現在の形になったのは平安末期、平清盛によるものです。その後の焼失の際は、戦国時代に毛利元就が大規模な社殿修復を行い、さらに豊臣秀吉による造営も行われています。
左:平舞台から本社を望む。 右:シルクハットのような蓑甲のライン。
金属を寄せ付けない屋根。
唯一見つけた止板と落とし。
嚴島神社所蔵の国宝としては「平家納経」がピカイチですが、建築物でも、本殿・幣殿・拝殿と祓殿の本社2棟と摂社2棟、東西回廊の2棟の合計6棟が国宝指定。大鳥居を含む11棟、3基が重要文化財に指定されています。
今回、厳島神社の屋根が檜皮葺きであることは、承知の上で、銅屋根クロニクルの取材に向かいました。というのは、このクラスの神社、例えば上賀茂神社、下鴨神社、住吉大社など檜皮葺きであっても、大棟や樋などに少なからず銅板が使われていることは、これまでの取材で分かっていたからです。有名な大鳥居の笠木が銅板で葺かれていることを確認した上で、社殿を巡るのですが、見事な檜皮葺きの屋根に心躍る 一方、あまりの非金属状態にも驚きました。棟はことごとく瓦。樋はない。数少ない軒樋は三角断面の木製。
唯一見つけたのがこの止板(とめいた)と落とし。軒が重ねる部分の雨仕舞にやむ無く使った、という風情です。カラーステンレスで、木の樋を内張りしてあります。
宝物館の銅屋根の先に国宝の檜皮屋根が連なる。
海上の社殿である厳島神社では(少なくとも海域部分の社殿には)、厳しい塩害のため銅板は使用しないようです。そこで今回は、美しい檜皮葺きの社殿越しに銅板葺きの大鳥居を、又、陸上部分に建てられた数少ない銅板葺きの宝物館の屋根越しに厳島神社の屋根を見ていただくことにします。そこで社殿を取り巻く高台を巡り撮影しました。ポイントは湾の東岸の塔岡(とうのおか)の末社である豊国神社、西岸の宝物館裏手の高台にある多宝塔などです。五重塔、多宝塔、豊国神社本殿などの仏教建築が現存し、神仏習合の名残をとどめています。
清盛が創った海上の極楽浄土、その入り口が檜皮と銅板で葺かれた笠木を持つ大鳥居です。この鳥居も日本三鳥居の一つです。
「日本3 大〇〇」が大好きな日本人ですから、鳥居にだって、もちろんそれがあります。「日本三鳥居」、「日本三大鳥居」、「日本三大石鳥居」、「日本三大木製鳥居」、「日本三大珍鳥居」などなど。諸説ありますが、「日本三鳥居」で概ね一致するのが、①金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の8メートルの銅の鳥居(重要文化財), ②宮島・厳島神社・社殿前の海中に建つ楠造りの鳥居(重要文化財、世界遺産)、③大阪四天王寺・参道に建つ日本最古の石の鳥居(重要文化財)のトリオです。その中でも荘厳さにおいて、群を抜くのが、安芸・宮島の大鳥居でしょう。創建は平安時代で、神額には沖側の面には「厳島神社」、神社側の面には「伊都岐島神社」と書かれています。
ついでに日本三舞台の後の二つはいずれも大阪で、住吉大社と四天王寺の石舞台。四天王寺が鳥居と舞台の二冠、厳島神社は三冠王です。
境内の沖合約200mの地に立つ現在の大鳥居は明治8年(1875年)に再建されたものです。同社の公式HPによると「鳥居の高さ16メートル、棟の長さ24メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2 本ずつ控柱がつく。四脚鳥居ともいう)である。主柱は樟で、各主柱の立つ基礎は、松丸太を打ち込んだもので、その上をコンクリートと花崗岩で固めてある。鳥居の島木と笠木は箱状の構造で、内部には小石が多数詰め込まれており、その重みによって大鳥居は自立し、風波に耐えている」そうです。
厳島神社へのアクセスは対岸から、フェリーを利用します。JR広島駅から山陽本線でJR宮島口まで約30分、または広電で50分、そこからフェリーで約10 分乗ると宮島桟橋に付きます。また市内の平和記念公園から海路、一気に船で40分という手段もあります。このコースを選ぶと、出船後すぐ右手に原爆ドームを川面から見ることができます。