銅屋根クロニクル

No.35

神武天皇元年創建 関東最古の大神社
鹿島神社(茨城県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

鹿島神宮は、古文書では神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられている。現在、神宮と称される神社は10を超えるが、平安時代中期の延長五年(927)に編纂された神名帳である「延喜式」の中で「神宮」と記されているのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみで、由緒と歴史の長さでは別格の存在。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社である。旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮で祈願する「鹿島立ち」の文化も育まれた。
祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきた。その後、武士たちからも厚い信仰を得、武術も盛んになってゆく。その中には傑出した武術家も多く、代表的なのが塚原卜伝(つかはら ぼくでん)。宮本武蔵でさえ不可能だった生涯無敗を誇ったとされる無敵の剣豪だ。

楼門

拝殿(上)と本殿(下)

本殿の檜皮が美しい。棟、千木は銅板。

大鳥居と楼門

笠間の御影石製で、昭和43年に竣工。国産の花崗岩の鳥居としては日本一だったが、東日本大震災により倒壊、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建された。

重文指定の楼門は日本三大楼門の一つに数えられ、高さ約13m。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房により奉納された。昭和15年の大修理で丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板で葺き替えている。

拝殿

左から拝殿、幣殿、石の間、本殿と続く権現づくり。本殿後がご神木。鹿島神宮の森で最も古く、最も大きい。高さ約40メートルに及ぶ杉で、樹齢は1,300年を超える。

元和五年(1619)二代将軍徳川秀忠は諸社に先駆けて鹿島神宮の大造営を行った。本殿部分は三間社流造で、この本殿、幣殿、拝殿を石の間でつなぐ権現造(ごんげんづくり) は、久能山や日光の東照権現(家康)を祀った建物に多く用いた様式であることから名付けられた。

仮殿

元和四年(1617)、社殿造営のため秀忠が奉納した。まずこの仮殿に祭神を遷した後、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営した。

奥宮

慶長十年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したもの。

現在、鹿島神宮にある重要文化財の社殿はすべて徳川家の寄進によるものである。

授与所・武徳殿

重文社殿の檜皮葺き、銅板の棟包みの佇まいは、鹿島の杜の巨木に囲まれ、2600年余の歴史を感じさせてくれる。しかし本殿拝殿以外の社殿はほとんど銅板葺きで、授与所、武徳殿、社務所の銅屋根は端正だ。また境内の摂社、末社の銅板屋根も味わい深い。

授与所

社務所

武徳殿

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