No.33
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
建立の記録は延喜(901~)とも寛治(1087~)とも。本殿は正保元年(1644)宝亀院住僧賢尊 が再興を計画、正保四年六月十八日に三間流造の本殿が竣工した。このとき藩主牧野忠成は能を献じたと記録されている。以来、祭日には能楽が奉納されており、1991年以降は毎年 8月末に境内で薪能が行われ、白山神社にとって欠かせない行事になっている。
本殿は新潟地震の後修理され現在に至る。拝殿は慶安元年(1648) の造営。 宝永年間(1704~)享保元年(1716)延享四年(1747)に建替、修理の記録がある。昭和三十四年十一月の修理の際に茅葺き屋根が銅板葺きになった。
流造(ながれつくり)は、伊勢神宮に代表される神明造から発展し、屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝(こうはい、ごはい)となったもの。全国で最も多い神社本殿形式である。
側面の破風(はふ)は懸魚(げぎょ)などで装飾され、優美な曲線を描く。 屋根の勾配はきつくなく、前面に長く流れるように伸びる蓑甲(みのこう)から向拝にかけての曲線を強調する。
神社にとって重要な年中行事である夏越大祓(なごしのおおはらえ)の6月30日、参拝客は日常生活で知らず知らずに身に受けた厄・穢れを人形に託して浄火し、茅の輪をくぐり、 身を祓い清め、残る半年の無事・健康を祈る。
右側からの景観は緑青を生じた一文字葺き銅板屋根と松の緑が一層映える。
唐破風のレリーフと銅屋根と錺金物。あちこちで緑のグラデーションが見られる。
右端に見える唐破風はまだ銅屋根が新しい社務所。
鼓楼に続く屋根はすべて銅板葺きだ。
手水舎の屋根も銅板
隋神門をくぐり、左手の回廊の向こうに「御稲御蔵(みしねのみくら)」の金箔を施した鰹木(かつおぎ)が見える。
白山神社本殿に祀られている主祭神は、菊理媛大神(くくりひめのおおかみ・白山比咩大神)と伊邪那岐命、伊邪那美命。
菊理媛大神は農業の神、海上の神、そして国家、 郷土の守り神であり、「くくりひめ」の「くく」とは、糸をくくるように人々の願いを聞き入れてくれる女神とされる。男女の仲を、 糸をくくり整えるように取り持つ「縁結び」の神さまとして全国的にも有名である。白山神 社ホームページQ&Aコーナーには、「伊邪那岐、伊邪那美の夫婦の神様がけんかをしたと きにお二人の間に入って、仲を取り持ったという神様で、ここから縁結びの神様と言われているのです。よく女の神様の神社におまいりすると、神様がやきもちを焼いてそのカップル は別れるなどと言われますが、菊理媛大神(白山大神)はけんかしている二人をより強く結 びつけた神様ですので、別れるどころかより強く二人を結びつけて下さることでしょう。 ここから「縁結び」の神様、「夫婦円満」「家内安全」の神様とされております。」と書かれている。
伊勢神宮から下賜された、高床式の御稲御倉(みしねのみくら)は昭和28年の伊勢神宮第59回遷宮の際、供物の稲穂を納めるための建物として建てられ、伊勢神宮独特の唯一神明造である。
伊勢神宮から下賜された、高床式の御稲御倉(みしねのみく ら)
昭和39年の新潟地震において白山神社の本殿はじめ社殿の多くが倒壊寸前、宝蔵庫も倒壊した。その復興が続く中、昭和49年神宮から御稲御倉が下賜された。
屋根のムクリ、軒先の厚み。本来の茅葺きによる唯一神明造りの屋根のフォルムを銅板で忠実にトレースしている。