銅屋根クロニクル

No.29

参道(月見坂)に並び立つ諸堂は銅屋根ギャラリー
中尊寺(岩手県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。山号:関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁が開山、その後貞観元年(859年)に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったという。実質的な開基は藤原清衡(きよひら)奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建とされている。奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの国宝・文化財を有する。2011年(平 成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。 金色堂、金色堂堂内諸像及び天蓋他が国宝に、金色堂旧覆堂他が重要文化財に指定されている。

月見坂は中尊寺の表参道で、建武元年(1334)の中尊寺文書に「月見坂」の名が見える。 駐車場から県道300号を渡ったところが坂の起点。本堂まで500メートル、金色堂まで800 メートル。江戸時代に伊達藩が植えた杉並木が続く。

少し歩いて、まず左手に見えるのが八幡堂、次いで弁慶堂、向かいが地蔵堂。また左手に 薬師堂。すべて銅板の一文字葺きである。再び右手に本坊の表門が現れる。瓦葺きのこの門は伊達兵部宗勝邸の旧門で、1659年に移築されたもの。階段を上って門をくぐると本堂の大きな屋根が正面に広がる。

中尊寺本堂

中尊寺本堂

中尊寺本堂

本堂は中尊寺の中心道場で、建物は明治42年(1909)の再建。比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法灯」が以来、日夜絶えることなく灯っている。

本堂の先で月見坂は北参道と交差する。その先に峯薬師堂、不動堂、大日堂、鐘楼、阿弥陀堂、弁財天堂と連なり、金色堂に至る。国宝・金色堂の覆堂や重文の旧覆堂・経蔵も含めてそのほとんどの屋根は銅板葺きである。

八幡堂

八幡堂

弁慶堂

弁慶堂

地蔵堂

地蔵堂

薬師堂

薬師堂

八幡堂

本殿の向拝

地蔵堂

本坊内の鐘楼も銅板葺き。

薬師堂

讃衡蔵 ( さんこうぞう)

上:経蔵 下:経蔵の宝珠

上:経蔵   下:経蔵の宝珠

旧覆堂:室町時代中頃に建てられた金色堂旧覆堂(重文)。1962 年の金色堂の解体修理工事開始までの約500年間、金色堂を風雨から守ってきた。1964年に約100メー トル北西の現在地に移築された。

経蔵:国宝の一切経を納めていた重文の経蔵が金色堂の近くに建っている。一部平安時代の古材が使用されているが、建築年代は鎌倉末期と推定されている。保安三年(1122)の棟札が伝わる(国内最古)。

讃衡蔵 ( さんこうぞう):中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設。1955年に開館したが、現在の建物は開山1150年の2000年に新築されたもの。本尊の木造阿弥陀如来坐像(重文、中尊寺蔵)、峰の薬師堂にあった薬師如来坐像(重文、願成就院蔵)、閼伽堂にあった薬師如来坐像(重文、金色院蔵)の3体の巨像をはじめ、多くの文化財を収蔵展示する。この屋根も銅板葺き。

旧覆堂

旧覆堂

白山神社能舞台

白山神社能舞台

白山神社能舞台(重文):境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建つ。嘉永6年(1853年)に仙台藩主伊達慶邦によって再建奉納されたもの。近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされている。日本の芸能史上貴重な遺構として、2003年に重要文化財指定。茅葺き屋根の劣化が激しい。棟と橋掛かり部分の屋根は銅板葺きである。

この能舞台に寄せられた亀井勝一郎の次の言葉が残されている。「明るく開放的。堅牢で豪壮な姿も実にいいが、位置がすばらしい。この位置と方角を選んだ人は詩人に違いない…私が能楽師なら一生に一度ここで舞うことを望むだろう」

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