銅屋根クロニクル

No.27

「北陸の法隆寺」と称される禅宗の国宝大伽藍は鉛と銅の饗宴
瑞龍寺(富山県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

富山県唯一の国宝がある寺・高岡山瑞龍寺。
住宅街に突然現れる総門をくぐると、杮(こけら)葺きの山門鉛瓦葺きの仏殿、銅板葺きの法堂、3 つの国宝が一直線に並ぶ。左右に禅堂と大庫裏を置き、周囲を回廊で結ぶ中国の寺院建築を模して建立された。 「禅宗伽藍をまねるのであれば、富山県高岡市の瑞龍寺を見てこいと」いわれるくらい基本的で模範となる配置である、と評価されている。
「伽藍瑞龍」と称される所以だ。

平成9年に国宝指定された山門、仏殿、法堂だけでなく、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂も国の重文に指定されている。いずれも杮(こけら)葺きで、銅板の棟包みである。

総門の杮葺きにはほぼ30センチ間隔で銅板の帯が挟まれている。杮板や檜皮の劣化防止対策として一時流行したが、現在はあまり採用されなくなった。

改修工事中の山門は杮葺き。通常上層の屋根は狭くなるのだが、ここでは上層の屋根が下層と同寸。これは雪の落下や雨の落下を考慮したものであるという。内側からこれだけ見ればアンバランスに見えるが、正面から伽藍全体を見渡すと調和が取れている。

瑞龍寺

城郭の門のような豪壮な総門。

柿板の劣化で銅板の帯が見える。

改修工事中の山門。

本瓦形鉛板葺きの仏殿。

瑞龍寺最大の建築である銅板一文字葺きの法堂。
左(手前から)鉛瓦の仏殿、銅板一文字の法堂、杮葺きの方丈・回廊が連なる。屋根葺き手法の豪華なショールームだ。

隅鬼には梅鉢紋。加賀・前田家の祖先は菅原道真と伝えられる。

法堂の巨大な鬼瓦(銅板に葺き替え前のもの)。

七間浄頭 杮板の劣化でカラー鉄板による丁寧な応急処置。こうしたメンテの様子も、屋根の変遷を見る上で、屋根ファンには興味深い写真だ。

屋根を葺き終わった禅堂。真新しい杮葺きに銅の棟包みがまぶしい。

鬼板の雪対策

加賀藩お抱え大工に伝わる禅宗伽藍説明図。
伽藍配置を人体の部位と対応させて解説している。足がバス、トイレ。手が禅堂と大庫裏、肛門は門で、下から上へ、仏殿、法堂、大方丈と一直線につながる。

瑞龍寺保存工事の責任者であった、文献協・上野幸夫さんは、この法堂を「名工・山上善衛門の最高傑作」と言う。前号の銅屋根クロニクルで、全国に2例しかない鉛瓦葺きとして金沢城を紹介したが、実はもう1例がこの瑞龍寺法堂だ。鉛瓦屋根の総重量は47トン。鉛の屋根に関しては文献資料の上では江

戸城、名古屋城の一部に記録があるが、本格的な適用例はこの2例のみと言われている。創建時の法堂は杮葺きで、昭和の改修の際の記録によれば、その後瓦葺きに代わりさらに現在の銅板葺きとなった。

また上野さんは善衛門の雨仕舞上の工夫について指摘している。「今のサッシと同様に敷居の両端に水抜き用穴をあけている。また、法堂の屋根の降棟の先端の鬼板。雪国で、下り棟の先端に普通に鬼板を付けてしまうと、積もった雪で押し出され、雨漏りの原因になる。そこで、鬼の後側を円錐状にして、雪が自然に流れるように工夫している」というのだ。

加賀藩2代藩主・前田利長の菩提を弔うため、利長の弟で3代藩主・前田利常が、名工山上善右衛門嘉広を招いて正保3年(1645)建立を始めた。7堂の伽藍が完成するまで20年を要した。

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