No.24
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
大阪市北区に鎮座する大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は京都・祇園祭、東京・神田祭と並んで日本三大祭りの一つである。
祇園祭においては八坂神社よりも山鉾が、神田祭では神田明神の社殿よりも神輿が主役であるように天満の天神さんも、大阪天満宮の立派な社殿より、船渡御の大船団と花火で有名だ。
しかし「天神祭りの神社だから一応お参りしておくか」という気分で楼門をくぐった人は、決して広くはない境内に集中するグラマラスな銅板屋根や昇竜のような樋に驚くだろう。
大阪天満宮の創始(鎮座)は、平安時代中期に遡る。菅原道真は、延喜元年(901年日)、政治の上のライバル藤原時平の策略で、昌泰4年(901年)九州太宰府の太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されることになる。
道真は摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向うが、2年後に59歳で没する。その約50年後、天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放った。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されたと言われている。
大将軍社は、その後、大阪天満宮の摂社として祀られる。こうしたことから、小さいながら社殿の屋根は特に立派だ。上右の写真を見ていただきたい。本殿側面の登竜門の両脇にとどまらず、各所に配置された竪樋が天に登る龍に見える。
高密度な屋根ラインの重なりと昇竜の饗宴
大将軍社の重厚な屋根
9段の厚い軒先、天平美人のような蓑甲。完全にオブジェとなったアンコウ。アンコウにはカメ(玄武)が浮き彫りになっている。
経の巻先端と、梅の金が効果的に浮き立つ。濡れた銅板は妖艶だが、夏の正午の刺すような日差しのなかで、中間トーンの吹っ飛んだベタな黒と、白っぽい緑青と、金という組み合わせも力強い美しさだ。
本殿と神楽殿をつなぐ渡り廊下だが、真ん中部分を切り取れば御座船の風情だ。
蓑甲の曲線は都会的で柔らかい。これも船との関連をうかがわせる部分だ。
龍の竪樋だけでなく、これほどまでに存在感のある樋は珍しい。
屋根は基本的に緑青銅板による一文字葺き、のようだ。
現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建された物で、大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度の火災に遭い、特に大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837年)の大火では、全焼した。その約6年後に、現在の本殿が再建された。天満宮のHPは「第二次大戦でも焼け残ったのは、氏子達が、焼ける自分の家を横目に見ながら「天神さんを焼いたらあかん」と守ったからです」と記している。
鎮座から2年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「みそぎ」を行なった。その時、人々が船を仕立てて迎えたのが天神祭の始まりとされている。