銅屋根クロニクル

No.22

小石川湯立坂のあかがね御殿 旧磯野家住宅(東京)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

明治・大正の時代の山林王・磯野敬が自邸として建てた木造3階建ての和風建築。1912年(大正元年)竣工。銅板葺きの屋根、銅板張りの外壁のため銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれる。関東大震災や戦災にも耐えた。社寺の建築様式と伝統的な木造建築の技法に明治の大工の創意工夫を融合させた近代和風建築として評価され、2005年に門ともに国重要文化財に指定された。

東京・小石川の湯立板に面した門は、太い丸太材を柱に用いた四脚門である。屋根を支える極太の丸太は、耐久性を最優先して檜の焼き丸太が使用されている。屋根裏は均一の丸太が垂木のように整然と並べられ、軒先が緩い曲線を描いている。

銅御殿( あかがねごてん)

銅御殿( あかがねごてん)

小石川の湯立坂に面した門

小石川の湯立坂に面した門

印象的な箕甲納めの屋根

印象的な箕甲納めの屋根

多角形を用いた庇の起り

多角形を用いた庇の起り

門をくぐり奥に進むと、銅板で葺かれた屋根の一部が見えてくる。社寺建築ほど極端ではないものの、一般の住宅でこの箕甲納め(みのこおさめ)は印象的だ。

棟に近い部分は起り(むくり)、軒先に降りてくれば反り(てり)のある、テリムクリの屋根だ。切妻の先端が、わずかに曲面で折り込まれている。隅を支える肘木も立派なものだ。

反り起りながら下りてくる降り棟のラインと、隅で跳ね上がる軒先にラインに、蓑甲の描く軌跡が彩を添える。この写真のコントラストを強くしてモノクロで見ると、素晴らしく現代的な表情である。

庇の起りもあえて滑らかな曲線ではなく、多角形を用いて、緊張感を持たせているのだろうか。

釘が1本も使われていない四脚の門。軒先が緩い曲線を描く屋根は重厚な中にも、軽く見えるようにデザインされている。

小さな門ではあるが、材料と技が凝縮されているから、シビを乗せてもつり合いを壊さないのだろう。

写真をモノクロにすると現代的な表情に見える

写真をモノクロにすると現代的な表情に見える

材料と技が凝縮された門

材料と技が凝縮された門

築100年。寸分の狂いもなく建つ姿が耐久性の高さを示している。

旧磯野家住宅は、建築にあたって施主が「寺院風で地震と火事に強いこと」を条件にしたことから、耐震性を考慮した木組みとし、屋根は軽い銅板葺き、外壁も銅板張りとなった。

銅御殿の主屋は1909年(明治42年)に着工し、1912年(大正元年)に竣工した純和風の建物で、車寄せを備えた平屋建ての書院棟、3階建の応接棟、平屋建ての旧台所棟からなっている。

建設時の施主・磯野敬の注文は「寺院風」「耐地震」「耐火災」の3点のみで、建築に関する費用と工期は無制限という、破格の条件だった。施主が見込んだ棟梁は、弱冠21歳の北見米蔵(1883~1964)。この棟梁の下に集まった腕利きの職人は最盛期には100名を超えるほどだといわれている。木曽の檜をひと山買い付け、専属の鍛冶屋に刃物を造らせ、木材は狂いが生じないように3回も削り直し、壁はひびが入らないよう11回も塗り重ねたそうだ。春と秋に各10回ずつ見学会が行われている。

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