No.16

静岡浅間神社 ─黒漆銅板屋根の重厚な色合い─

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)通称「おせんげんさま」は神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社からなり、その総称が「静岡浅間神社」である。鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地であり、賤機山古墳(国の史跡)も境内にある。

静岡浅間神社

舞殿の奥に大拝殿がそびえる。

神部・浅間両神社の大拝殿は2階建ての浅間つくり。棟高25メートルは、出雲大社本殿の24メートルを抜き、木造神社建築で日本一。屋根は銅板の本瓦棒葺き。天井は十間の合天井となり、その各間に狩野栄信・狩野寛信の「八方睨みの龍」「迦陵頻伽」「天人」 の天井絵を飾る。

舞殿:文化14年起工、文政3年竣工。ほとんどの社殿が漆塗りの中で、江戸時代後期に造営された社殿中唯一素木造り。立川流彫刻も、ここでは素木のものが鑑賞できる。銅板一文字葺きのこの屋根には黒漆は塗られていない。

写真は2013年12月末、日没時の楼門。文化12年起工、同13年竣工の総漆塗。彫物には「水呑の龍」「虎の子渡し」などがある。また二層部分に「當國總社・冨士新宮」の扁額が揚げられている。

豪華な妻飾りと彫刻

豪華な色漆の色彩はほとんど見えない。黒漆が剥げた銅板屋根は日没後の雲に反射したわずかな光で、色素でもなく光でもない不思議な重厚な色合いを見せる。
本社の神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに境内には、麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社の重文境内社が鎮座する。規模こそ小さいが、いずれも豪華さにおいては、おせんげんさまの本殿に引けを取らない。

貞享元年(1684)ごろに貝原益軒の記した『吾妻路之記』には「美麗なる大社なり。日本にて神社の美麗なる事、日光を第一とし、浅間を第二とすと云う」とあり、古くから「東海の日光」と称えられていた。昭和46年6月、社殿24棟が、平成11年2月、宝蔵・神廐舎が国の重要文化財に指定され、まさに"東海の日光"の佇まいだ。

降り棟の鬼に三つ巴

楼門。大拝殿、総門と同じく、これも銅板屋根には黒漆が塗られている。

楼門脇の灯篭の銅板屋根も存在感がみなぎる。

社殿の造営の歴史

元仁年間(1224年頃)に鎌倉幕府は焼失した社殿を再建し、延文年間(1356年頃)には守護職今川家の造営があった。天正7年(1580)には社殿が焼失したが、武田家は直ちに造営に取りかかった。また天正9年徳川家康は武田家攻略にあたり戦勝を祈願し、平治の後に必ず再建すべく祈誓を為して社殿を焼き払い、社殿背後にあった武田方の賤機山城を攻め滅ぼした。天正14年にはその誓いを果たし、慶長年間に社殿が造営された。
さらに寛永11年(1635)家光上洛の折、社殿の修造を命じ、日光東照宮や浅草寺などを手がけ幕府御用であった大工木原木工允藤原義久を幕府方の棟梁とし、華村長左衛門を地元大工方棟梁として造営が行われた。その後安永と天明の両度、町方の出火により社殿にも延焼したが、文化元年(1804)から60年余の歳月と、当時の金額で10万両の巨費を投じて再建されたのが現在の社殿群である。(由緒より)

巨大な堰板。

建物のバランスを崩さない、
立派な樋が取り付けられている。

手水の屋根も堂々たる銅板本瓦棒葺き。

回廊の屋根越しに本殿の屋根を望む

楼門と拝殿を結ぶ回廊

本瓦棒葺き回廊の銅板屋根にも黒漆が塗られていた。ほとんど剥げ落ちているが、程よい具合だ。30年前の屋根の葺き替え工事では、銅板を剥した際、旧い銅板に塗られていた漆が粉になって舞い上がり、職人たちを苦しめたそうだ。