銅屋根クロニクル

No.111

東寺と並ぶ平安時代創建の寺は祇園祭り発祥の地
神泉苑(京都)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

毎年7 月1 日、この日から京都市の中心部は、祇園祭に染まってゆく。一方、祇園祭発祥の地でありながら賑やかな鉾町の周辺とは、別世界のような神泉苑(しんせんえん)が二条城の南に潜んでいる。京都市中京区門前町にある東寺真言宗の寺院で、本尊は聖観音。そもそもは平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)。古代から中世にかけては東寺が管掌する雨乞いの道場となり、江戸時代に寺院となった。

神泉苑は7 月24 日、かつての賑わいを取り戻す。この日、午後6 時から祇園祭還幸祭 神泉苑拝礼が行われるからだ。祇園祭の始まりは平安時代。都で疫病が大流行し、その原因は朝廷に反抗し、非業の死を遂げた六柱(早良親王など)の御霊にあるとされた。そこで貞観5 年(863) に、御霊を鎮めるために神泉苑で御霊会(ごりょうえ)を行った。

平安京だけでなく、貞観地震や富士山の噴火など全国的な災害が相次ぐ中、貞観11 年(869) には当時の律令制度の国の数である66 本の鉾を建立し、神泉苑で祈願した。この御霊会が現在の祇園祭へとなってゆく。

神泉苑の根本となる法成就(ほうじょうじゅ)池にかかる法成橋。この橋を渡る時、願い事を一つだけ念じながら渡り、善女龍王社へお詣りすると願いが叶うという。

この場所は延暦13 年(794)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された庭で、もともとはここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられている。当時の敷地は二 条通から三条通まで、南北約500 メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園だったとされる。

どんな日照りの年にも涸れることのない神泉苑の池には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、天竺の無熱池から善女竜王を勧請し空海が勝利した。後に真言宗の東寺の管轄下にある雨乞いが行われる道場となった。

慶長7年(1602)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑北側の敷地の大部分が城内に取り込まれて規模が縮小した。また、神泉苑の水源である「神泉」も城の外堀の水源の一つとして奪われた。その後朝廷の許しを得て慶長12年(1607)より元和年間(1615〜1624)に掛けて復興が図られ、神泉苑は東寺が管掌する寺院として再建され、寺領40 石が認められた。神泉苑の境内には弁財天も祀られ、弁財天廿九ヶ所の霊場のひとつとなって栄えたが、天明8年(1788)の天明の大火で、多宝塔や社殿が焼失した。

寺の伝承によると源義経と静御前が出会った場といわれる。また一説に法成就池が京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとするが、確たる証拠はない。

アクセス:二条城前駅(京都市営地下鉄東西線)徒歩約2 分

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