No.107
(1/1) ルーフネット 森田喜晴
建長寺は正式には巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、本尊は丈六の木造地蔵菩薩坐像。 鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の本大山である。
建長5年(1253)、鎌倉幕府第5代執権北条時頼が中国(宋)の高僧蘭渓道隆を迎えて創建した日本最初の禅宗専門道場で、幕府と強く結び付き、大規模な伽藍が造営された。往時は千人を越す雲水が修行していたと伝えられる。
このころ、承久の乱(1221年)を経て、朝廷の力は弱まり、北条氏の権力基盤が安定し、鎌倉幕府の力はピークになっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者で、特に禅宗に深く帰依していた。
建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった建長寺のある谷は地獄谷と呼ばれ、処刑場であって、仏殿の本尊が地蔵菩薩であるのはこの因縁による。
創建当初は主要な建物が一直線に並ぶ伽藍配置であったが、度重なる地震や火災の被害に合うも、そのつど再建されて、現在の堂宇はほとんど近世の再建・移築になるもの。

法堂越に仏殿
正中2年(1325)と嘉暦元年(1326)には、建長寺造営再建費用捻出のために、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)が派遣され、「建長寺船」と呼ばれた。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けている。
寺は、蘭渓道隆像(絵画)などの国宝をはじめ数多くの文化財を所蔵し、中でも建長7年(1255)に北条時頼が作らせた国宝の梵鐘は、その美しさが関東第一といわれている。多くの堂宇の屋根が銅板葺きだが、この鐘楼は茅葺きである。

三門側面

大庫裏全景

唐門と方丈

唐門側面

仏殿

仏殿正面
総門
創建年次は未詳だが建治元年(1275)頃とされ、現在の門は昭和15年、京都般舟三昧院の表門が移築された。
三門
山門と表記することも多いが、空・無相・無作の三解脱門の略称で、三門とも記される。
創建年次は建長5年以降まもなくと思われるが未詳。室町期の禅宗様を踏襲した現在の重層門は安永4年(1775)落成した。その後、昭和29年大修理とともに茅葺きを銅葺きにして、平成8年220年振りに大修復を行い建立当初の姿が蘇っている。
仏殿
創建時、最初に作られた伽藍で、現在のものは正保4年(1647)、芝増上寺の霊屋を移設したもので、 寄棟造で単層裳階が付いた重要文化財。
本尊地蔵菩薩安置する他、かつて土地堂にまつられていたであろう伽藍神・祖師像、千体地蔵・伝心平地蔵などが祀られている。
法堂
仏殿の後ろに位置し、古代寺院では講堂に当たる。千手観音像を祀る。当初の法堂は建治元年(1275)の創建であるが、現存の法堂は文化11年(1814)の上棟である。平成14年に、創建750年記念事業の一環として解体修理完成。
方丈(龍王殿)
総門と同じく昭和15年、京都般舟三昧院より移築したもので、宝冠釈迦如来像を安置する。
梵鐘(国宝)
三門向かって右手の鐘楼にかけられている。銘文によると、建長7年(1255)開基北条時頼が大檀那となり、開山蘭渓道隆が銘文を撰して、当時関東第一の鋳物師、物部重光の鋳造である。円覚寺、常楽寺とともに鎌倉三名鐘に数えられる。
アクセス:
〒247-8525 神奈川県鎌倉市山ノ内8番地
JR 横須賀線「北鎌倉駅」、徒歩15分。