銅屋根クロニクル

No.103

山を背に大島望む八幡宮 鶴岡八幡宮(神奈川)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

若宮大路の突き当り、鎌倉の中心に建つ神社。総朱塗り極彩色、緑青屋根、流れ権現造りの本宮(上宮)がそびえたつ。1063年、河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏(清和源氏の一流)2代目の源頼義が、戦勝祈願のため京都の石清水八幡宮を鎌倉に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされる。1081年には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復している。

1180年10月、打倒平家の兵を挙げ源頼朝は、12日に宮を現在の地に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の施設を拡張整備していった。1191年に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とした。

本宮は文政11 年(1828 年)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されている。本宮は大石段上にある。大石段は61段あり、登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮

がある。三代将軍実朝を殺害した公暁は、その時この階段中ほど左にあった大銀杏に身を潜めて犯行に及んだという。

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 
 昔を今に なすよしもがな」。

源頼朝の求めに応じて舞った静御前が、源義経を慕う歌を詠んだとされるが、当時はまだ舞殿は建立されておらず、若宮社殿の回廊で舞ったとされている。

観音堂

舞殿(下拝殿)

若宮(下宮)

舞殿

宝物殿

舞殿の妻かざり

宝物殿と拝殿

宝物殿背面

応神天皇( おうじんてんのう) 第15代天皇、比売神( ひめがみ)、神功皇后( じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母の3柱(「八幡神」と総称される)を祀る本宮(上宮)に対して、若宮は、応神天皇の子である仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命の4柱を祀る。

江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂などを建築し、徳川家光の時代に薬師堂、鐘楼、楼門などが建てられた。また、境内には方五間の多宝大塔や、東照宮も存在していた。

観音堂

斎館(さいかん) 源氏池中洲の弁天堂から対岸の斎館(さいかん)を望む。
銅屋根のフォルムが美しい。これは隠れた見どころです。

源氏池の島には旗上弁天社が建つ

斗供(ときょう)飾りも弁才天

江戸幕府崩壊後、廃仏毀釈の動きが始まり、多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分され、一部を除いて散逸した。

本宮の楼門に掲げられた「八幡宮」の額の「八」の文字が、一対の鳩で表されている。八幡 神の使いが「鳩」であり、鶴岡八幡宮は別名「鳩宮」と呼ばれることも。鳩をモチーフにしたお守りも人気で、西門横には、銅板屋根のあやかり名物鳩サブレの店まである。

斎館隣の鶴岡幼稚園も銅屋根

また、境内入口には源頼朝が臨時別当の専光房良暹と大庭景義に命じて掘らせた「源平池」と称する、左右2つに分かれた池がある。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。池には鯉やすっぽんが生息し、水鳥も多い。夏期には蓮の花が一面を覆う。

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