銅屋根クロニクル

No.9

北野天満宮(京都)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

檜皮葺きの屋根と銅板のとっても幸せな姿

北野天満宮は、現在、全国各地におよそ一万二千社とも言われる菅原道真を祀(まつ)った神社の総本社で、親しみを込めて「北野の天神さま」と、また地元では単に「天神さん」と呼ばれている。

北野天満宮(京都)

軒先と棟の綺麗な組み合わせ

天満宮の縁起によれば、平安時代中期の天暦元年(947)、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、この地に神殿を建て、菅公を祀ったのが始まりという。

その後、天徳3年(959)右大臣藤原師輔が北野社の大規模な社殿の造営、宝物の奉納を行った。

写真1 銅板葺きの楼門

銅板屋根の楼門(写真1)をくぐると正面が国宝指定である檜皮葺の本殿。右手には銅板屋根の水香梅とチタン葺きの宝物殿そして銅板屋根の神楽殿、瓦葺きの社務所が並び、各種屋根葺き材を見ることができる。

社殿は当初から朝廷及び将軍家がその造営修繕に当たってきた。国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)、秀吉の遺志により豊臣秀頼が造営したもの。

写真2 手水(水香梅) 茅葺きを模した柔らかい銅板葺きに天満宮唯一の瓦の棟包み


写真3 権現造りの本殿

写真4 雨仕舞上最大の難所


写真6 樋の断面は銀杏型

写真5 反対側の同じ部分。


写真7 銅ならでは、瓦の棟では出せない美しさ

桃山文化を今に伝えています。

北野天満宮の本殿は実は拝殿と繋がった構造になっており、それぞれの屋根に落ちる雨水を間の樋が受ける。大量の雨水があふれるのを防ぐために、山型の巨大な堰(せき)板まで取り付けられている。

 (一社)日本銅センター発行の「銅板葺屋根」1996年によると、1951年の調査時点で、この堰板は江戸中期の手打ち銅板であり、慶長12年(1607年)再建以来のものと考えられた。しかし現状の板は近年取り替えられている。

檜皮の色と棟包みの緑青、金箔の飾り金物、加えて紅葉と夕陽。

「総面積約五百坪の雄大な檜皮葺き屋根を戴く八棟造の本殿の威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えています」という北野天満宮社報の表現は誇張ではない。

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