銅屋根クロニクル

No.8

湯島聖堂(東京)続編-樋

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

湯島聖堂の楷書の樋 ―漆黒の壁面を貫く緑青の楯ライン―

湯島聖堂(東京)-樋

寛政11年老中松平定信の寛政の改革で、朱子学は官学となりその象徴である湯島聖堂は拡張され最大規模となった。 同時に建物全体が黒でおおわれる。壁や扉は黒漆で塗られた元禄の当初の朱塗りが何故黒になったのか、寛政の改革の引き締め、火を連想させる赤を嫌った、近くの神田明神との明確な区別など、諸説あるが、「徳川家の重要施設を象徴する黒」という説は湯島聖堂では有力ではない。

黒と緑青の世界。屋根の上の鬼犾頭(きぎんとう)と鬼龍子(きりゅうし)などの聖獣動物園は関東大震災で罹災し焼け落ちた。この時、唯一焼失を免れたのが入徳門(写真上右)。伊東忠太の設計によりRC、銅屋根で湯島聖堂は再建された。焼け残った木造の入徳門に先月10月、黒漆が施された。光沢のある黒を銅の緑青が引き立てる「関東大震災で焼け残った、聖堂内で唯一の木造建造物「入徳門」。この門には、現在黒漆が塗られている。

柱に見えるほど 頑丈な樋

「孔子樋」「聖堂樋」と名付けたくなるほどの一体感。柱に見えるほど頑丈な樋で、「ぶら下がっても大丈夫」だそうだ。頑丈なだけではない、落ち葉除けの蓋つきという気配りも併せ持つ。

楷書のような樋

リズミカルな縦線

スリムライン

左:雨水の行方を追う鬼龍子(きりゅうし)単なる妖怪好きではありません。
伊東忠太の建築家としての優しさが感じられる縦樋の点検口(右)。

メンテナンスを専門業者がするのか、建物の使用者が行うのか、それを考慮してこうした細部に気を配ったという。その気配りが、木の葉が詰まらないように設けた、樋の蓋にも表れている。

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