銅屋根クロニクル

No.7

湯島聖堂(東京)前編-屋根

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

ようこそ黒と緑青の伊東忠太ワールドへ ―屋根の上は聖獣・霊獣動物園―

湯島聖堂(東京)屋根

写真1 聖堂の屋根から四方を睨む霊界の動物たち。

寛永9年(1632年)、尾張中納言徳川義直は、幕府の儒臣・林羅山のために上野忍ヶ岡の林邸内に孔子廟を建てた。これが湯島聖堂の始まりである。また元禄3年(1690年)5代将軍徳川綱吉は儒学の振興を図るため、廟を現在の地に移し、大成殿とその周りの建物をあわせ聖堂と総称した。その後寛政(1797年)、11代家斉の時、規模を拡大し幕府直轄の昌平坂学問所として開設した。

大成殿

写真2 大成殿。開口20m、奥行き14.2m、高さ14.4mの入母屋。 大成殿とは孔子廟の正殿の名称である。

大正12年(1923年)の関東大震災で入徳門を除くすべての建造物は焼失した。現在の大成殿は、関東大震災で焼失後、昭和10年(1935年)に伊東忠太博士の設計、大林組の施工で再築されたものである。 復興に際してはすべて寛政9年当時の旧聖堂に拠り、木造であったものを、耐震耐火のため鉄筋コンクリート造とした。屋根はすべて銅板葺。

緑と黒に囲まれた四角い中庭を見下ろす聖獣・霊獣たち。伊東忠太は、築地本願寺で控えめに配置した妖怪たちをここ湯島聖堂では思う存分散りばめた。湯島聖堂は午後5時に鐘を鳴らした管理人が参拝者を追い出して門を閉ざす。この中の聖獣たちはきっと真夜中に屋根を飛び回っているに違いない。

写真3 本瓦棒葺の屋根は緑青の緑。

写真4 壁は黒。かつてこの黒は黒漆だったが、現在はエナメル黒塗装だ。

思う存分散りばめた聖獣・霊獣たち。

写真5、6 大棟の両端の鴟尾(しび)。通常虎頭魚尾だが、ここでは龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている鬼犾頭(きぎんとう)。もちろんこれも忠太デザイン。鬼犾頭は想像上の魚神。水の神として屋根の頂上にあって火を防ぐ。

写真7、8 大成殿の流れ棟に鎮座する鬼龍子(きりゅうし)。狛犬に似た姿で、顔は猫科の動物に似て、牙を剥き、腹には蛇や龍のような鱗がある。想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。降り棟、隅棟の先に普段なら鬼が置かれるのだが、聖堂の屋根を守るのは霊獣たちだ。 同じく伊東忠太デザイン

伊東作品というと怪異な動物に目が奪われがちで、強く怪奇なイメージが伴うが実はとても繊細。棟のラインが霊獣たちを繋ぎとめる索のようにも見える。銅板葺の技術者は、「伊東先生の求めるなだらかで繊細な屋根のラインに、職人もいい仕事で応えた。」という。

写真9、10
大成殿内部に置かれた鬼犾頭(きぎんとう)左637.5㎏と鬼龍子(きりゅうし)右93.5㎏。
いずれも関東大震災で罹災し焼け落ちた。

伊東忠太は、これらを参考に、さらに「儒学の殿堂たる聖堂の附属物もそれに相応しいものでなければならない」として当代随一の古建築の研究成果に妖怪好き、漫画好きの遊び心をブレンドし霊獣たちを作り出した。

(続く)

ページトップへ戻る