銅屋根クロニクル

No.6

横浜市開港記念会館(神奈川)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

横浜市開港記念会館は横浜開港50周年を記念して、横浜市民からの寄付により建設された。
大正6(1917)年6月30日に竣工し、翌7月1日に「開港記念横浜会館」として開館した。

横浜市開港記念会館(神奈川)

同記念館は、横浜市の公会堂であり、翌大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期二大公会堂建築といわれる。
設計は、コンペ当選した東京市の技師福田重義の案をもとに、山田七五郎を中心にして行われた。赤煉瓦に花崗岩をとりまぜた、辰野様式の赤レンガ建築である。

大正12(1923)年の関東大震災によって、時計塔と壁体だけを残し、内部は焼失した。
昭和2(1927)年に震災復旧工事が竣工したが、屋根ドーム群は復元されなかった。
昭和60(1985)年に、創建時の設計図が発見されたのを契機に「ドーム復元調査委員会(委員長:村松貞次郎東京大学名誉教授)」の提言を受け、昭和63年度にドームの復元工事に着手し、平成元年6月16日に、大正時代そのままの姿に復元された。

現在の姿からは想像しがたいが、平成の復元工事まで、この建物は屋根もドームもない陸屋根だった。もしこの銅屋根がなかったら、今ほどの観光名所になっただろうか。

スレートと銅板による屋根だが、銅は鋳物や装飾用パネルが多用されている。施工に際しては、スレート、銅鋳物との取り合い、薄銅板の納まり、雨水が集中する場所などには捨て銅板を敷きこんでいる。下地とのなじみを考慮して0.3ミリの磨銅板が使用された。

ジャックの塔

ひときわ目立つ高さ約36mの時計塔(鉄骨煉瓦造)は大正期の煉瓦作り構造技術の水準を示すとともに、石材装飾のディテールにはセセッションスタイルの反映がみられるという。

塔は現在「ジャックの塔」と呼ばれる。キングが県庁本館の塔(昭和3年約49m)、クイーンが横浜税関の塔(昭和9年約51m)、ジャックが(大正6年約36m)。トランプカードの絵札からとも、チェスの形からとも、諸説ある。

ジャックの塔と四方睨む大砲?

換算600ミリの望遠レンズでズームアップすると、ますます大砲に見えるが、実はこれは樋(とい)の落とし口。「ガーゴイル」だ。

ガーゴイルとは西洋建築の屋根の上に置かれ、雨樋を通ってきた水の排出口としての機能を持ち、西洋では動物を型どったものが多い。歴史はギリシャや古代エジプト時代にまで遡る。日本の鬼瓦につながる魔除けの要素も併せ持つ。

調査報告書によると、屋根工事に使用された薄銅板葺総面積は1,542㎡、使用薄銅板面積は2,993㎡、588人工による作業だったそうだ。

鋳物やパネルの使用が多く、厳つい表現であるため、がっちりした樋が全体の意匠の中でも違和感なく納まっている。

球体・円錐形の尖塔頂部は2ミリの銅板絞り。

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