銅屋根クロニクル

No.5

日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(東京)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

「銅屋根クロニクル」第5回目は、日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(東京)です。
東京都千代田区神田駿河台のニコライ堂。「ニコライ堂」は 通称。日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなむ。

正式名称は「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」で、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂である。明治24年(1891) 建築。煉瓦及び石造、建築面積813.4 ㎡、一階建、銅板葺 1 棟。実務設計は、J. コンドル。
ニコライ堂の建築面積は約800平方メートル、緑青を纏(まと)った高さ35メートルのドーム屋根が特徴。日本初、かつ最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めてきた。

日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(東京)

銅板屋根が建物の主役だ

この角度から見ると、地上からはよく見えない直線が目に入る。端正な球体となだらかな裾野。キリリとした切妻。カットされた隅のラインがアクセントを添える。「銅板屋根が建物の主役だ」と言いたくなる。

関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在の形になった。1962年6月21日、国の重要文化財に指定され、1992年から大規模な修復の取り組みがなされ、準備の期間を入れるとおよそ9年が費やされて、現在の壮麗な姿となった。とはいっても銅板屋根は関東大震災の修理の後はほとんどそのまま、というから大した仕事だ。

日本の重要文化財のほとんどが木造で、石造の重要文化財のうちでは東京復活大聖堂が一番古い。この後はじまる石造文化財修復のさきがけとなった。
絡み合った根のような瓦棒が雨水を樋に導く。

機能とデザインが見事に一体化した樋(とい)(左)と堂々とした鮟鱇(あんこう)(右)。
この存在感はもう彫刻作品だ。

セクシーな塔頂部。瓦棒の間隔は、頂付近は狭く、下にゆくほど広くなる。完成イメージを描きながら、一枚一枚の溝板を叩きながら葺きあげてゆく。

見事な技だが、手練れ(てだれ)の職人にとっては、特別なことではない。難しいのは、チームワークとバランスだ。この作業を、もし「一人でやれ」と言われれば、技術を持った職人は少なからずいる。だから時間はかかるが難しいことではないという。しかし現実には工期があり、レベルの揃った職人を揃え、全体を見ながら管理して完成させなくてはならない。そのコントロールが難しいのだそうだ。

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